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2017-03-17 22:13

未来の記憶  素材屋との対話

最近、素材屋が元気である。
素材屋と言っても木曽路が経営している居酒屋ではございません。

消費財を組立てるメーカーの影で目立たないのが部品屋であるが、
さらに部品屋が仕入れる原材料を生産してるのが素材屋である。

旭化成とか帝人とかがやたらと元気。
さらに部品屋でも、豊田合成とか住友理工とか素材系の調子が宜しい。
帝人さんは昨年、米国の自動車向け複合材料最大手をM&Aで丸ごと買ってしまいました。
この分野の日本の競争力はかなりものなのです、

さて、先日、この業界の方と話していて、面白い話を聞きました。
今はネットの時代であり、紙の媒体は滅ぶであろう。
ビジネスでも紙はやめて、デジタル媒体に保存する。
これが、どんどん進む・・・というか、もう目一杯、進んでいるようなんです。

ところが・・・・CD、DVD、ハードディスクなどの記憶媒体は・・・そんなには持たないのです。
5年前にダビングしたDVDを見ようしたら・・・壊れていたと体験あるでしょう。
パソコンのHDDも10年は持たずに突然死するでしょう。
現在の技術では「開発をやってはいるが、100年持つものは、まだ無い」とのことです。
100年前と言うと2017-100=1917年です。
志賀直哉が「城崎にて」を書いた年ですが・・紙に印刷されているので・・まだ読めます。
ところが、今、クラウドに記憶させても2117年まで持ちません。

ですから・・・このまま紙媒体が廃れると・・、紫式部の源氏物語は残っても、
2000年代の初頭の人類は小説も随筆も何も残さずに「文化果てる時代」であったと、
未来の人類に思われるかも知れませんね。

さて、話はこれだけではないのです。
電子的な記録媒体が壊れる前に、記録させ直したら良いのです。
・・・しかしながら・・・現在、電子媒体に記録されている情報は膨大で、
これを全部、ダビングするだけの新しい記憶媒体は短時間に生産不可能なのです。
未来に膨大な需要が生まれるのですが、現在の生産体制では無理というのですね。

それで・・・長寿命の記録媒体を開発すれば、この問題は解決しますが、
実は、政府のどこも音頭を取って推進してないし、この問題が知られてないので「無理かもね」とのこと。

やはり、2000年代初期に人類は未開の民となった。
平安時代は偉大であった・・・ということになりそうです。







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コメント

紙媒体って果たして無くなりますかね

小生これについてははっきり言って疑問です。

現実の世界で電子媒体に変わられているのは、手紙に変わるメール、企業の取引や帳簿に関する事項などの限られてるでしょう。あとはネットの世界特有の掲示板やブログ類などなどでしょう。しかし文化の象徴たる文学作品などはどうでしょう。圧倒的多数は紙媒体です。紙媒体の電子化はあってもいきなり電子媒体オンリーで発表されるものなんてありません。

つまり文化は紙媒体で残るんだろうと思ってます。我々は平安時代の女流文学を読むことができますがこれは紙媒体に残してくれたからでしょう。紙媒体の寿命なんておそらくは200年程度です。でもその間にこれは良いと思えば好事家たちは写本を作り残してくれました。古典はこうやって生き延びたのでしょう。

「城の崎にて」は1917年発表ですがそれは現在までも紙媒体で再刊されています。だからあと200年以上は残ります。おそらく残らないのは個人の書簡や映像記録なのではないかと思います。あと企業などの帳簿類でしょうか。だから今の我々が東インド会社の帳簿を見て当時の経済活動を知るなどということは出来なくなるのかもしれません。

古典というものが生き延びる過程を考えるならば電子媒体であってもそれが再記録される頻度が高ければ生き残ります。もしそれができなかったyとすればそれはその本が芸術作品として力がなかったと言うだけのことです。小生「ヒロシマ・ノート」や「騎士団長殺し」などがどれほど残るか少々疑問には思ってます。
  1. 2017-03-28 20:10
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

Re: 紙媒体って果たして無くなりますかね

> 小生これについてははっきり言って疑問です。
>
> 現実の世界で電子媒体に変わられているのは、手紙に変わるメール、企業の取引や帳簿に関する事項などの限られてるでしょう。あとはネットの世界特有の掲示板やブログ類などなどでしょう。しかし文化の象徴たる文学作品などはどうでしょう。圧倒的多数は紙媒体です。紙媒体の電子化はあってもいきなり電子媒体オンリーで発表されるものなんてありません。
>
> つまり文化は紙媒体で残るんだろうと思ってます。我々は平安時代の女流文学を読むことができますがこれは紙媒体に残してくれたからでしょう。紙媒体の寿命なんておそらくは200年程度です。でもその間にこれは良いと思えば好事家たちは写本を作り残してくれました。古典はこうやって生き延びたのでしょう。
>
> 「城の崎にて」は1917年発表ですがそれは現在までも紙媒体で再刊されています。だからあと200年以上は残ります。おそらく残らないのは個人の書簡や映像記録なのではないかと思います。あと企業などの帳簿類でしょうか。だから今の我々が東インド会社の帳簿を見て当時の経済活動を知るなどということは出来なくなるのかもしれません。
>
> 古典というものが生き延びる過程を考えるならば電子媒体であってもそれが再記録される頻度が高ければ生き残ります。もしそれができなかったyとすればそれはその本が芸術作品として力がなかったと言うだけのことです。小生「ヒロシマ・ノート」や「騎士団長殺し」などがどれほど残るか少々疑問には思ってます。

紙媒体が残ると良いですが、困ったことに電子媒体の寿命が短いことの認識がないようですので、少しPRしたのです。
図書館に行って図書の電子媒体化などをやっているのを見ると、頭、大丈夫かなあと思ってしまいます。





  1. 2017-04-08 05:06
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

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