-------- --:--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. スポンサー広告

2016-01-26 15:10

掌を生贄の血で真っ赤に染めて

別に古代の話でも、中世の話でもないのです。
現在、普通に行われていることです。

工場などが完成した時に、お祝いをやるんですね。
そして、この工場で事故が起こらないように、お祈りをする。
そこは、日本だって同じで、神主が来て、お払いをして、塩と酒を撒いて、
その工場の社長と工場長が玉串を奉納して、お仕舞いです。

ところが一神教の国々では、こういう時には生贄を捧げるのです。
ヤギが多いですけど、牛という場合もあり・・・・・古代では人間の雌の処女という場合も・・・

ヤギは古くから犠牲にささげる獣(生贄)として使われることが多い。
古代のユダヤ教では年に1度、2匹の牡ヤギを選び、くじを引いて1匹を生贄とし、もう1匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った(旧約聖書 レビ記16章)。
贖罪山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。
特定の人間に問題の責任を負わせ犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現。

回教の世界では、ラマダンの前後に生贄が捧げられ、見てしまった日本人がショックを受けることがままある。

さて、工場の完成祝いであるが、ヤギが生贄に捧げられ、生贄の首を切り、そこから溢れ出る血をたっぷりと手に付けて、
建物の重要部分に掌でぺたぺたと血を付けて、お払いするのです。

日本人は、とても付いていけない感覚ですが、平静を装いながら見ているしかない。

日本人と一神教の人達と普段に付き合うには問題ないが、こういう場面では「感覚の違い」を感じます。

Abraham.jpg


スポンサーサイト
  1. サラセン
  2. TB(0)
  3. CM(0)

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。