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2015-11-04 21:11

SEALDsの予備軍?

突然、体育館内にサイレンが鳴った。
それも、今時のサイレンではなくて、子供の頃に良く聞いた「うううううううう」というサイレン。
そして、東京大空襲の映像。

近所の中学で生徒が人権・平和・男女共同参画学習の成果を発表するというので、
案内状が来たので行ってみたら最初から魂消た。
来賓席に案内されたが、誰も居なかった。
変な老人がやってきたというので、驚いているようであった。

最近の中学生はパワーポイントを使い、プレゼンするようだ。
パワーポイントに動画を入れて、効果的に使っている。

大空襲の次は広島と長崎の原爆である。
これも、動画つき。

生徒の説明は
①東京大空襲の被害状況
②広島・長崎の原爆投下と被害状況
③自分が平和学習で広島を訪問した時の感想
④安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
このようなストーリィでした。

実は国際法違反の東京大虐殺、広島大虐殺、長崎大虐殺であった・・などの話はありません。

「人権・平和学習」というのは、やらなくてはいけないそうです。
この平和学習の発表の後に「差別にだ」学習の発表もありました。
今時の中学生は、このような授業を受けているのですね。

ネットの世界では団塊の世代が「日本は悪かった二ダ」という戦後教育を一番、集中的に受けたということになっておりますが、
それは、我々、団塊世代ではなくて、現在の児童と生徒でしょう。

地域によって差があるとは思いますが、我々は「日本は悪いことをした」等の教育は受けておりません。
当時の恩師に聞くと、日本が戦争に負けるかも知れないと感じ始めた時期から、
日本が占領されたら、今まで通りの教育はできなくなる。
欧米が正しかったという教育になるのは、目に見えていたから、
そうした教育・洗脳から子供達を守ろうと先生同士で話し合って居たとのこと。

一部の「進歩的文化人」は、裏切者、投降主義者であるが、多くの教師は、
我々が目の黒いうちは「アカ共」に教室を渡さないと決意していたと言います。

この話が無かったことになっているのは、こうした進歩的でない先生が引退した後に、
1970年代から、ようやく戦後教育が始まった事を隠すためでしょう。

戦後には、彼らが隠したい事件が多数ありますから。
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  1. 団塊世代の真実
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  3. CM(6)

コメント

小生は1970年に小6でしかたから

これは全く正しいといえます。当時最も年をいっていた教師は結構戦地帰りという人々は多かったのです。当時の小学校の学年主任は大正生まれでシベリア帰りという人物でした。この人が歴史を教えていたのですから変なものになるわけはないのです。

当時の定年は55歳ですから1970年前後に戦地帰りの多くが定年になります。売国教育はそれから始まったのだと思ってます。今の日本の最大の抵抗勢力は戦後焼け跡を幼児期に見た連中です75歳位でしょうか。この連中は戦争は負のイメージしか無いわけでまあ反戦に走るのは納得出来なわけではありません。

まあ、団塊世代の中の馬鹿はしょうがないのですが、でも決して多数派じゃなかったはずです。こういう馬鹿が増えたのは1970年代以降に小学校教育を受け始めた連中からです。基本は65年以降くらいでしょうか。

仮に65年生まれならば今年50、ちょうどシールズの親の世代です。一度こういう基地外の層ができてしまうと30年目ごとに基地外を再生産することになります。またこいつらは親が焼跡派という連中でもある可能性が高いので既にして三世代の再生産と言えなくもありません。

こいつら社共ブロックのくせに米軍の戦争犯罪を弾劾するというのはベトナムで早たことは多いのですが大東亜戦争では聞いたことがありません。小生は組合のない私立で中高を過ごしましたが、これだけで連中のダブスタぶりは分かりました。中高の頃に馬鹿な雑音に左右されず現代史を勉強できたことはほんとうに良かったと思ってます。
  1. 2015-11-05 00:05
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

校内暴力

 進んだ学校!はそんなことをしているのですね。息子が校3ですが、そこまでは、言ってないようです。地域によってかなり違いがあるのでしょうね。大学に行くまで、部落問題なんて知りませんでしたから。 

 1970年は、中学生でした。クラス担任は中国に出征していた人で、よくその話を聞かされました。あまり覚えていないのですが、子供たちが寄ってきて煙草をねだっていたということを覚えています。中国語も話せたらしいです。もっと系統だって話してくれていたらと思ったりします、今になって。高校の歴史の先生は、外国人はすぐ日本に来て物価が高いの何のと文句を言う、いやならければいいんだと言っていたことは、印象に残ってます。やはり戦争に行ってきたはずの年代でした。南京虐殺も従軍慰安婦の話も、日中戦争なんで言葉もなく終わりました。今は子供の教科書から、任那日本府や広開土王の碑が亡くなっていますし、平安時代まで古代!になるというひどい歴史を教えられています。

 そして70年代は校内暴力で中学校が荒れた時代だったのです。実は、昭和32年生まれの子供たちから教育指導要領が改訂になり、あの2進法の教材などが入ったりした時代の子供が、だんだん荒んできたということになりますね。大学でも後輩たちからは違った雰囲気が漂ってました。

 これからさらに、変わっていくと思いますが、学校以外からも情報・知識を得られるので、教員はやりにくいかもしれませんね。
  1. 2015-11-08 00:05
  2. URL
  3. Cherry Blossoms #-
  4. 編集

Re: 小生は1970年に小6でしかたから

> これは全く正しいといえます。当時最も年をいっていた教師は結構戦地帰りという人々は多かったのです。当時の小学校の学年主任は大正生まれでシベリア帰りという人物でした。この人が歴史を教えていたのですから変なものになるわけはないのです。
>
> 当時の定年は55歳ですから1970年前後に戦地帰りの多くが定年になります。売国教育はそれから始まったのだと思ってます。今の日本の最大の抵抗勢力は戦後焼け跡を幼児期に見た連中です75歳位でしょうか。この連中は戦争は負のイメージしか無いわけでまあ反戦に走るのは納得出来なわけではありません。

私は1970年には大学生でしたが・・・この時代でも戦争体験教師が残っていたのですね。
そうなると、本当に戦後教育が始まったのは1970年代後半かも知れません。

戦後の焼け跡を見た世代は、すべてが変ではありません。
今の75歳から85歳ぐらいの人と話しても、大江健三郎みたいな人は殆ど居ません。
戦後、GHQの洗脳工作に合わせたほうが成功できると思った一部の人が居て、その子供達など一部がおかしいだけです。
また団塊世代の直後の部分は、べ平連の影響下にあり、この連中が困ったちゃんなのです。
1960年代の大学紛争は。皆さん、お忘れでしょうが、原因は学費の値上げとか、インターン制度反対など、かなり切実なものだったのです。新聞配達のバイトしながら大学に通う苦学生が多いので学費値上げは深刻。
東大の医学部のインターン制度も・・・大学を出てからインターンとして只で働く程の余裕がないので反対していたのです。
東大紛争でインターン制度は中止になりました。
こうした学生の学校側への切実なお願いに対して、革命的共産主義者同盟などの新左翼各派が割り込んで来て、革命ごっこをはじめたのが実態です。学生側と新左翼活動家との間には大きな隔たりがあり、反目もあったのです。
今の民主党の指導部は、この時代の新左翼活動家でしょう。
ところが、この紛争をテレビで見ていた高校生たちが、大学は燃えているぞおお・・・われ等も何とかしなければ・・と。
でも、特にテーマが無いので困ってると、そこにべ平連のデモがあった。
このデモで開放感を味わった世代が・ちょっと変でして、昭和27年生まれから29年生まれが、全共闘の幻に惑わされた人が一部に居る世代です。

>
> まあ、団塊世代の中の馬鹿はしょうがないのですが、でも決して多数派じゃなかったはずです。こういう馬鹿が増えたのは1970年代以降に小学校教育を受け始めた連中からです。基本は65年以降くらいでしょうか。
>
> 仮に65年生まれならば今年50、ちょうどシールズの親の世代です。一度こういう基地外の層ができてしまうと30年目ごとに基地外を再生産することになります。またこいつらは親が焼跡派という連中でもある可能性が高いので既にして三世代の再生産と言えなくもありません。

確かに、シールズの親の世代は困り者です。
>
> こいつら社共ブロックのくせに米軍の戦争犯罪を弾劾するというのはベトナムで早たことは多いのですが大東亜戦争では聞いたことがありません。小生は組合のない私立で中高を過ごしましたが、これだけで連中のダブスタぶりは分かりました。中高の頃に馬鹿な雑音に左右されず現代史を勉強できたことはほんとうに良かったと思ってます。

組合が力を持つ地域と、そうでない地域とは大きな差がありますね。、
  1. 2015-11-08 00:07
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

Re: 校内暴力

>  進んだ学校!はそんなことをしているのですね。息子が校3ですが、そこまでは、言ってないようです。地域によってかなり違いがあるのでしょうね。大学に行くまで、部落問題なんて知りませんでしたから。 
>

最近、東京都は人権教育がやたら予算とってますよ。
私は講義をサボってばかりですけど民生委員にも義務付けられて居る。
都知事が変わってから、えらい力の入れようです。

対抗手段は地域の人達のクレームのみ。
学校開放の日があるので、是非、地域の学校を参観して
後日、先生に意見を言ってください。
メールを送り、さらに面会を申し込んでもちゃんと聞いてくれますよ。

>  1970年は、中学生でした。クラス担任は中国に出征していた人で、よくその話を聞かされました。あまり覚えていないのですが、子供たちが寄ってきて煙草をねだっていたということを覚えています。中国語も話せたらしいです。もっと系統だって話してくれていたらと思ったりします、今になって。高校の歴史の先生は、外国人はすぐ日本に来て物価が高いの何のと文句を言う、いやならければいいんだと言っていたことは、印象に残ってます。やはり戦争に行ってきたはずの年代でした。南京虐殺も従軍慰安婦の話も、日中戦争なんで言葉もなく終わりました。今は子供の教科書から、任那日本府や広開土王の碑が亡くなっていますし、平安時代まで古代!になるというひどい歴史を教えられています。

韓国に歴史を修正されたままの状態です。

>  そして70年代は校内暴力で中学校が荒れた時代だったのです。実は、昭和32年生まれの子供たちから教育指導要領が改訂になり、あの2進法の教材などが入ったりした時代の子供が、だんだん荒んできたということになりますね。大学でも後輩たちからは違った雰囲気が漂ってました。
>
>  これからさらに、変わっていくと思いますが、学校以外からも情報・知識を得られるので、教員はやりにくいかもしれませんね。

地域の人達が無関心なので、学校は五月蝿く申し入れる左翼活動家や人権派の活動家の影響を受けてしまうのです。
国連と同じなのです。
これは、保守派といわれる人達の「怠慢」の結果なのです。
  1. 2015-11-08 01:00
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

60年代の学生運動

そうでしたね。

60年代の学生運動は最初医学部の無給インターン制度の問題から始まったのでした。あと日大の学費と教育環境の悪さの問題が闘争の発端でしたよね。71年まで国立大学は年間学費が36000円でした。今の感覚でも15万しないでしょう。当時の学生がよく学費を全部稼いだと言ってましたがこれなら出来ますよね。

しかし無給のインターンでは生活が出来ずアルバイト必須なのに時間がない、その上医師の資格が無いところでの診療行為を強制されるという大問題がありました。その上で当時の政府が今日まで続く学費の値上げ路線に走ったのでした。学生運動の初期は当たり前のプロテストだったという気がします。

しかし左巻きの連中はこのような所に漬け込んで自己の主張の展開を図るのですよね。とんでもない奴らだという気がします。70年代は世間ではオイルショックとその後の経済停滞ばかりが言われますが、現場に入りこんだサヨクが跳梁し日本をおかしくする原因を作ったということ。これが大きかったと思います。


当時の保守政権は今考えてみても決して善政ではなかったと思いますが、基地外左翼をはびこらせていいものだったとはとてもいえません。日本にとっての不意打ちだったのだという気はします。
  1. 2015-11-08 20:26
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

Re: 60年代の学生運動

> そうでしたね。
>
> 60年代の学生運動は最初医学部の無給インターン制度の問題から始まったのでした。あと日大の学費と教育環境の悪さの問題が闘争の発端でしたよね。71年まで国立大学は年間学費が36000円でした。今の感覚でも15万しないでしょう。当時の学生がよく学費を全部稼いだと言ってましたがこれなら出来ますよね。
>
> しかし無給のインターンでは生活が出来ずアルバイト必須なのに時間がない、その上医師の資格が無いところでの診療行為を強制されるという大問題がありました。その上で当時の政府が今日まで続く学費の値上げ路線に走ったのでした。学生運動の初期は当たり前のプロテストだったという気がします。
>
> しかし左巻きの連中はこのような所に漬け込んで自己の主張の展開を図るのですよね。とんでもない奴らだという気がします。70年代は世間ではオイルショックとその後の経済停滞ばかりが言われますが、現場に入りこんだサヨクが跳梁し日本をおかしくする原因を作ったということ。これが大きかったと思います。
>
>
> 当時の保守政権は今考えてみても決して善政ではなかったと思いますが、基地外左翼をはびこらせていいものだったとはとてもいえません。日本にとっての不意打ちだったのだという気はします。


71年まで国立大学は年間学費が36000円・・・そうです。だから貧しくても頑張れば大学に行けました。
当時、ラーメンが130円でしたから、今は520円として4倍。年間15万円程度ですね。
私学は授業料が国立より高いのだけど、学生を増やしてマンモス講堂で授業して講義内容は薄くなり、
さらに、マンモス教室を作る設備投資のために学費値上げでは、怒るのは当然でしょう。

そこに全く関係ない「世界革命」を標榜するマルキストが、覆面とゲバ棒で乱入してきたのが全共闘です。
覆面をしたのは、多くのメンバーが学生でないことを隠すためでしょう。
  1. 2015-11-10 21:58
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  3. 友遊 #-
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