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2015-05-24 10:14

今時ではない生活保護の話しのはじまり

私のごく近い親族に歴史家が居て、その人の本は敗戦後、GHQにより焚書されてしまった事は、以前にも書いたと思う。
昔の読者から「こういうことが書いてあった」という話は聞いているが、いまだに見つからない。
早稲田の古本街などで大学時代に収集した、その人の本を読んでみると、古代の記述が実に多い。
特に大化の改新に至る経緯から、改新の内容、養老律令~大宝律令へと至る法律の整備と評価。

古代の、この時期に決まったことが、現在の社会の底流に生きている。
戦前の社会を分析した結果、それは大宝律令に至り「これを研究しないといかん」という熱意が感じられる。
現在の歴史家はあまりに明治維新に執着しているように思う。

さて、大宝律令は、日本の古代からの法律、決まりごとの集成である。
大宝律令により、初めて制定されたものではない。
今まで決めたものが修正され、整理されている。
日本の生活保護制度のベースとなっているのは大宝律令にある。
そのポイントは5戸制度である。
5戸というと、現在の各家族時代の5家族を思ってはいけない。
戦前に日本もそうであったが大家族制度の時代なのである。
戸長を中心に一族郎党が集まっている。
これが5戸集まるので、かなりの人数になる。
250人~500人程度ではないかと思う。
その中に一人で自立できない者が居た場合は。その家族が助け
家族で助けられない場合は戸で助け、
戸で助けられない場合は行政にお願いする。
こうした原則が、この時代の法律に書かれている。
今の生活保護法も同じ思想で書かれており、
戦後の復興期はこれにより多くの困窮者を自立させ、
自立不可能な場合は、保護して来たのである。
そこにGHQに解散を命じられた後に復活した町内会が大きく係ってきた。
町内会のルーツは5戸制度であるからだ。
これと人権派弁護士やら人権派精神科医による「今時の生活保護」とは全く別のものなのである。

これについての詳細は、後日、気が向いたら書きたいが、
今日は別の事を書いておきたい。

戦後の歴史学者による大宝律令の説明は、中国の律令制度を真似て導入したものとなっている点である。
オリジナルなものを作る能力のない日本人が、中国の物を真似て律令制度を作り、
戦後は米国に民主主義を教えられた。
現行の憲法もGHQ様から頂いたものであるから変えてはいけないのじゃ。
・・・・というような文脈が見えるのである。

そのそも「和をもって尊としとなす」という17条憲法の思想が中国にあるとは思えない。
日本の律令の条文には、この精神が貫かれている。
この日本オリジナルの思想は、戦後の歴史家にとっては邪魔であったので、
いつのまにか聖徳太子はお札のデザインから消え、架空の人物となり、
最近では教科書に記されているかも怪しくなってきた。

中国と日本はそれぞれ別の文化を持ち、
それぞれが学びあったという事実は、戦後左翼学者によって軽視されてきた。
遣唐使があった時代に遣日使もあったのである。
遣日使は天智天皇の治世には毎年のようにやってきた。
669年には朝散太夫郭務宋ら計二千余人、
671年には計二千人と多数の船と唐人が来朝していることが記録されている。

遣唐使よりも遣日使の方が多く、かつ日本に留学に来た中国人は、
日本に定住することを望み、日本語を覚えて日本に帰化する。
これは現在でも同様ではないか。
ただ、日本はそういうことを大声で自慢するのではなく、
自信を持って静かに、かつ注意深く対応することが重要なのである。
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コメント

早く続きを書いてくださいよう。

お元気でしょうか。
このエントリー続きを待ってます。
この5戸制度(五保制ですよね)が基本というのはなぜか知ってました。

律令時代の徴兵制は正丁3~4人に一人が基準だったようですが、1戸あたり70人程度と換算してその1/3が正丁とすると20人程度、正丁の期間が35年程度とすると兵役は大体3~4年程度ということになるのでしょうか。防人は期間3年と書いてありますが伸ばされることもしばしばというのは頷けることです。

大体20人に一人兵士を出す、その武具食糧自弁、と解するなら今の感覚で言う2,3家族で支援するというのが常態だったということでしょうか。おそらく社会保障もこれと同じだったのでしょうね。

あと遣唐使の答礼使の人数がやたらに多いのは学生時代から気にはなってました。一部には軍事侵攻されたんだという意見まであったのは知ってます。

このあたりのことはわかってるようで分ってない気がします。
  1. 2015-06-01 09:34
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
  4. 編集

Re: 早く続きを書いてくださいよう。

> お元気でしょうか。
> このエントリー続きを待ってます。
> この5戸制度(五保制ですよね)が基本というのはなぜか知ってました。
>
> 律令時代の徴兵制は正丁3~4人に一人が基準だったようですが、1戸あたり70人程度と換算してその1/3が正丁とすると20人程度、正丁の期間が35年程度とすると兵役は大体3~4年程度ということになるのでしょうか。防人は期間3年と書いてありますが伸ばされることもしばしばというのは頷けることです。
>
> 大体20人に一人兵士を出す、その武具食糧自弁、と解するなら今の感覚で言う2,3家族で支援するというのが常態だったということでしょうか。おそらく社会保障もこれと同じだったのでしょうね。
>
> あと遣唐使の答礼使の人数がやたらに多いのは学生時代から気にはなってました。一部には軍事侵攻されたんだという意見まであったのは知ってます。
>
> このあたりのことはわかってるようで分ってない気がします。

困ったことに、仕事が増えるばかりで、どうにもなりません。
  1. 2015-06-11 19:26
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

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