2014-10-16 12:36

靖国問題の経緯

 それから、いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。 それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから「最終的にA級はどうするんだ」という質間があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。
私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。
それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。巣鴨で絞首刑になられた東条英機(元首相・陸軍大将)、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎(以上、陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、広田広穀(元首相)の七柱。それに囚われの身や、未決のままで亡くなられた梅津美治郎(陸軍大将)、小磯国昭(元首相・陸軍大将)、永野修身(元帥海軍大将)、平沼騏一郎(元首相)、松岡洋右(元外相)、東郷茂徳(元外相)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)とあわせて十四柱。
 その根拠は明白です。昭和二十年八月十五日に天皇様のご命令によって、われわれは一切の交戦行為をやめた。しかし、むこうが撃ち込んできたときは、応対せよという但し書がついていたんです。ソ連が十五日以降に千島列島に上陸したので応戦したのはその例で、相当な戦死者が出ています。
 九月二日にミズーリ号での調印があり、占領行政が始まる。そして二十六年の九月八日にサンフランシスコで平和条約の調印がある。その発効は翌二十七年の四月二十八日、天長節の前日です。
 ですから、日本とアメリカその他が完全に戦闘状態をやめたのは、国際法上、二十七年の四月二十八日だといっていい。その戦闘状態にあるとき行った東京裁判は軍事裁判であり、そこで処刑された人々は、戦闘状態のさ中に敵に殺された。つまり、戦場で亡くなった方と、処刑された方は同じなんだと、そういう考えです。
 そして翌二十八年の十六国会では、超党派で援護法が一部改正されました。それで、いわゆる戦犯死亡者も一般の戦没者と全く同じ取り扱いをするから、すぐ手続きをしなさいという通知を厚生省が出しているんですね。
 それまでの、いわゆる戦犯の遺族は、まったく惨めな思いをしていたんです。あまり知られていませんが、財産も凍結されていて、家を売って糧を得ることさえもできなかった。それを、終戦直後の園会には婦人議員が多かった関係もあり、彼女たちが先頭にたち、超党派で改正されたわけです。
 国際法的にも認められない束京裁判で戦犯とされ、処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているんですから、合祀するのに何の不都合もない。むしろ祀らなければ、靖國神社は、僭越にも御祭神の人物評価を行って、祀ったり祀らなかったりするのか、となってしまいます。  役所用語でいうと戦犯で処刑された方は、「法務死亡者」というのですが、従来からの「維新殉難者」「幕末殉難者」と使っているのにあわせて「昭和殉難者」とお呼びしようという宮司通達を出しました。
 十四柱を合祀したときは、事前に外へ漏れると騒ぎがおきると予想されましたので、職員に口外を禁じました。しかし合祀後全く言わないと、これまた文句を言う人が出てくる。そこで合祀祭の翌日秋季例大祭の当日祭と、その次の日においでになったご遺族さん方に報告したわけです。
 「昨晩、新しい御霊を千七百六十六柱、御本殿に合祀申し上げました。この中に」−−ここを、前の晩、ずいぶん考えたんです。「東条英機命以下...」というと刺激が強すぎる。戦犯遺族で結成している「白菊会」という集りがありますので−−「祀るべくして今日まで合祀申し上げなかった、白菊会に関係おありになる十四柱の御霊もその中に含まれております」
 そういうご挨拶をしたんです。すると、白菊会の会長である木村兵太郎夫人が、外に出てくる私を待っていらして、
 「今日は寝耳に水で、私が生きているうちに合祀されるとは思わなかった」
と非常に喜ばれた。
 それから半月後に、十四柱のご遺族すべてに、昇殿・参拝いただきたいという通知を出し、お揃いでご参拝いただいたと、こういう経過でございます。そのころは、新間は知らなかったのか、一切騒ぎませんでした。半年後の春季例大祭の直前に、大平クリスチャン首相の参拝と抱き合わせで、いわゆるA級合祀をマスコミが大々的に取り上げ、大騒ぎいたしました。

「誰が御霊を汚したのか――靖国奉仕十四年の無念』(文藝春秋『諸君!』平成4年12月号)

靖國神社元宮司 松平 永芳
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コメント

小生は右であることは自覚してますが

安くに問題だけはどうもこの議論に馴染めぬものがあるのです。

松平宮司の意見は形式論理から言ったら完全です。全く反対するところはありません。いわゆる昭和殉難者は戦没者と同じ扱いにしようという国会の決議によりそう扱ってるのだから文句のつけようはありません。問題はそちらではないのです。

問題は2点あります。
まず、靖国の祭神に対して靖国神社は人物評価をしていないといいます。しかしその前段階で殉職者か戦死者かで結構な評価が先に国で行われます。例えば古賀峯一大将は形式的には戦史ではなく殉職です。でも確か靖国の祭神とされてるはずです。ところが第6潜水艇の佐久間勉艇長は訓練中の事故死として戦没者扱いにはなっておりません。ところが平時であっても靖国の祭神となった方々もおりこの辺り結構問題を感ずるのです。(結構政治的な行為も働いていたとも言われます)

次に昭和殉難者と言われる方々はその多くが国家の経営を誤り結果として日本国民と陛下に多大の迷惑をかけた人々です。(努力したとか何とかは認めません。政治は結果責任です。)いわば靖国の祭神を増やした方々でしょう。
しかし、靖国神社の精神は「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的」とされています。これは国家のためにお亡くなりになった方々の慰霊と検証ということなんでしょうが、こう考えるなら靖国の祭神を増やすということはやっぱり褒められた行為ではないでしょう。

東京裁判について反対する意見は形式論理的に正しく裁判の実質が報復である以上その無効を考えねばいけません。しかし、戦争に負けた責任は誰が取るのですか。一億総懺悔ではどうしようもないのです。戦後70年といいますがまともな政治家の敗戦責任というものを国民は問うてきたのかと問いたいのですよ。(本来は戦争の開始についても問いたいところですがここでは置きます)
靖国問題を考えるときにはその点がなあなあになってしまってるということを感じます。

あれはしかたがなかったんだ。みんなが悪かったんだ。だから忘れよう、ではいけないのです。

昭和殉難者の方々の中には連合軍の復習裁判と知りつつ国家を敗戦に導いた責任を償うとされた方もいます。嫌な話ですがこの辺りを免責してはいけないのです。

これをしなければまた同じ間違いをします。

我々が言わねばならぬのはこうなのです。

安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから。今度は必ず勝ちますから。

そう考えねばいけないと思ってます。

  1. 2014-10-22 10:34
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  3. kazk #-
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kazkさんへ

この問題は大局的に見る必要があると思います。
明治維新以降の歴史を見れば日米の激突は避けられなかったし、その理由は米国が日本の殲滅を考えていたからです。それは、最近になり機密が解除された米国側文書で明らかです。
明治維新以降も欧米諸国によるアジアの植民地化はどんどん進行していたのですが、特に米国ではハワイ王国に革命を起こし、王を政権から降ろした後に米国に統合しているし、この時に女王は日本に救いを求めたが、どうすることもできませんでした。その後はフィリピンに共和制の政権を作った後に植民地化しています。大虐殺もやりましたね。
日本がロシアとの戦争に勝利したことが、アジア、中東、アフリカの植民地住民に希望を与え、日本が大亜細亜会議を開催し、人種差別撤廃を国際連盟に提起した段階で、欧米諸国は日本が自分達の最大の敵だと認識したのです。ですから戦争は避けられず、その戦争は欧米国家間の国際法ルールの中での戦争ではなく、植民地の奴隷の反乱は許さないとしうる大虐殺を含む復讐になるのは最初から計画されていたことは、ルーズベルトの言動を見れば明確にわかるし、最終的に原爆投下や大空襲による民間人の虐殺までやる予定だったのです。
日本側は戦争回避のため奔走したが米国側は何が何でも日本側に先制攻撃させてから壊滅させる予定であったし、ソ連と強力して日本国内に多くのスパイを放ち、中国にも金銭的に支援、さらに武器を支援し日中戦争に引き込む。もはや日本は戦うしか活路は見出せなかった。そして米国は天皇を退位させ、共和制に移行させてから植民地化する段取りを考えて居たでしょう。
これは、現在でも米国が中東でやっていることと同じです。
パーレビ国王、サダム・フセイン、カダフィ大佐。安定した良い政治が行われている国は、専制国家と非難して工作員を放ちクーデターを起こさせた後に自国の影響下に置く。
しかし、日本軍はこの巨大な敵に良く戦ったと思います。そして、この戦争により最大の日本の脅威であった植民地主義が潰えた。日本軍は無条件降伏しても日本は無条件降伏したわけではない。大変な犠牲が出たが日本は勝ったのです。
前の戦争で平和に対する罪を犯したA級戦犯はルーズベルトです。
ですから昭和殉難者と言われる方々はその多くが国家の経営を誤り結果として日本国民と陛下に多大の迷惑をかけた人々とは思いません。陛下もそうは思っていないと思います。短足おじさんのエントリーにあった三河の三ヶ根山での天皇のご様子で、その通るだと思っております。
GHQは連合軍及び米国への非難をプレスコードとして、さらに中国・韓国への非難も駄目、大東亜の大義も駄目という中で戦争責任論を書かせました。日本人の中に責任者を見つけ出すことにより日本人を分断させ反目させて統治するための欧米人の毎度の戦法です。
この手に乗らないためには、昭和殉教者を断固支持していくことが必要だと思います。
  1. 2014-10-24 20:39
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  3. 友遊 #-
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 小生の論旨が伝わってはいないようですからもう一度書きたいと思います。
靖国の祭神についてはその選択に靖国に責任のない恣意性があるということと昭和殉難者の合祀により彼らの敗戦責任を免責することにつながってはならない、というのが小生の言いたいことです。
 前者についてはここでは意味があまりないので言及しません。
 しかし後者については論じなければいけないと思ってます。
A級戦犯といわれても松井石根大将などは戦争指導にほとんどかかわっておらず戦犯とされること自体不合理であり復讐裁判の犠牲者に過ぎないと思ってます。しかし白鳥敏夫氏や松岡洋右氏、そして戦争指導の当事者、東条英機元首相などは国家の経営を誤ったということで、その責任を問われるべきだと思うのです。

アメリカ相手の戦争はだれがやっても最終的に負けだ、だから何もしなくていいとはならないでしょう。
小生はあの状況下でももっといい形の戦争指導はありえたしそれは不可能ではなかったと思ってます。その点彼らはベストを尽くしたでしょうか。戦犯ではありませんが近衛文麿氏などはどうでしょうか。いろいろ批判もある人ですが中川八洋先生などは舌鋒鋭い批判を続けています。

現実に東条大将は1942年は何もしなかった。これが一番悔やまれると述べています。

彼ら昭和殉難者が靖国の祭神とされること自体は批判する気がありません。問題はそうなると責任はどう追及すればよいのでしょうか。小生の思考が相当に非日本人的思考であり、多くの日本の愛国者といわれる人々の思考とは相いれない部分があるかも知れません。

でもこれを言わなければならない。

帝国は米国にあんな惨めな形で敗北するような国ではなかった、と心底思ってます。
そして敗戦がに一本国民に与えたトラウマというものはとんでもないものがあったと思うのです。

こういうと歴史にIFはないとか、死んだ子の年を数えてどうする、とか言う大人がいます。
示k氏これをやらねばまた間違えますよ。勝つために反省せねばならないのでしょう。

靖国合祀はそういう思考が著しく弱くするのではないかと本当に思うのです。

靖国の祭神を増やさずに国家を発展させ精強にすることこそが国家国民の勝利でありましょう。
われわれはそれをできなかった反省は常にせねばならないと思っているのです。

  1. 2014-10-24 21:31
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  3. kazk #-
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書かれている趣旨は分かります。
しかし、すでに靖国問題は明らかに敵国から仕掛けられた情報戦争です。
情報戦争に勝ってからやるべき議論と思います。
残念ながら、この件は見解の相違ということで。
  1. 2014-10-24 21:44
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  3. 友遊 #-
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