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2014-08-08 00:28

団塊の風景 

以前、書いた記事だが多量のコメントを頂いた。
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小学校に入学した日、午前中は授業だが、午後から子供会があるので、それに出てから帰るように先生に言われた。
子供会は自治組織なので、先生はその教室には立入禁止なのだという。
そこで、近所に住んでいる日本人形作りの家の男の子(苗字忘れた)と、その隣の山下家(大きな二階家であったが親の職業は不明)の六男と、川向こうの眼鏡の朱実ちゃんと3人で、わが繁華街の校区の子供会の部屋(といっても放課後の教室を割り振っているだけだが)をドアを開けたとたんに目に入ってきたものは、異形の上級生達の群れであった。

中学生の着る黒の学生服を着た大男が、小さな椅子に座って仲間と話していた。
学生服は兄のお下がりだと思われるが、片目が潰れていて、さらに青い目ヤニが潰れた目を覆っていた。
片目はナイフで刺されたのでありうか・・・そのような印象であったが「どうしたの」と聞ける雰囲気では全くなかった。
その大男の周囲にたむろする上級生達も、いつでも直ぐに戦闘体制に入れるような危険の匂いのする連中であった。
何故、そうなのか?
それは日本人を襲い来る者達が周囲に居るからである。
彼らの余りの横暴さに、怒った日本人が逆襲し、市街地で銃撃戦を繰り広げる事態は1947年頃までは続いていたのである。
子供会が校区別に作られたのは、集団で登校と下校をするためだ。
登下校の途中で連中に襲われないようにすること。
そして、道草して知らずに「危険な場所」(連中の居住場所)には入ることがないようにする。
この2つが大きな使命であった。
「今日は襲撃される恐れがある」というような情報は警察から学校に伝えられる。
すると、先生は「気を付けて帰るように」と告げる程度の時もあれば、授業を中止し、早めに下校させる場合もあり、特に危険の場合は、先生達が竹刀で武装して、子供達を引率して下校する。

早期下校は小学校の2年頃までは時々、あった。
先生の護衛付下校は、一回あったことは間違いなく記憶している。
先生達も常に臨戦態勢であり、戦後民主主義の花畑の住民は皆無であった。
しかし、この危険な時代は1960年を境に急速に終焉するのである。
私の世代が危険な時代を知る最期であり、2年違いの妹は、平安で民主的???な小学生時代を送っており、こうした話は知らない。
先生達も「貴方達が境の世代、愚連隊の仲間に入る生徒も出なかったのが嬉しい」と妙な卒業式の挨拶をしていた。
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耳をもがれたり、目をつぶされるとは・・・どういう世界なのか?・・というコメントもありました。
若い頃「毎日、日本人狩りをやっていた」と在日の映画監督が自慢していたではないですか、あれですよ。

IMG_4481.jpg


これが団塊の風景です。
この風景は地方によっては1960年代後半までつづいていたらしい。
皆さん、お忘れでしょうか?
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  1. 団塊世代の真実
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コメント

yuyuuさま:いつもブログ拝見させていただいています。

慰安婦=酌婦=売春婦(合法)と挺身隊(合法)をごちゃ混ぜにして、非道の限りを尽くした物語=嘘を作り出す反日左翼さん

<暴力団並みの悪辣さ=朝鮮高校生の無法>を読んだら、どんな反論をしてくるのでしょう?
こういうことを同じ東京に住んでいた団塊世代でもまったく知らないで、左に傾いた人生を過ごしている人もいるようです。

私は日本が西欧に開国した時代から外国人が入った地域に育ったので、特に朝鮮人がどんなものなの知っています。密造酒、日雇い人夫~公共料金料金不払い、不法占拠、警察が出入りしてました。

いくら<韓流ブーム>などと言って電通が宣伝しようと、過去の事実を消せるものではありません。朝鮮からの引き上げの苦労話なども知っていますから、謝罪と賠償があってもいいくらいなのに、性奴隷捏造碑を世界中に建てるなんてあり得ない!
もっとも敗戦後にあんな非道を繰り返せる朝鮮人にはお似合いなのかもしれません。

この新聞記事はあの強制連行なかった<大半、自由意思で居住 戦時徴用は245人>という有名な記事に匹敵するくらい衝撃的な記事ですね。
発行した新聞社の名前とその日付が見えると、さらに衝撃は広がりそうだと思います。
  1. 2014-08-09 02:12
  2. URL
  3. fc2snowdrop #-
  4. 編集

ネット検索したら40年前のやまと新聞の記事とありますが、おそらく40年ではなく、50年以上前、昭和30年代前半までのことではないかと推測します。
https://twitter.com/yamatopress_sta/status/486859014634868736
  1. 2014-08-09 02:31
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  3. fc2snowdrop #AJGc9wjk
  4. 編集

Re: タイトルなし

> yuyuuさま:いつもブログ拝見させていただいています。
>
> 慰安婦=酌婦=売春婦(合法)と挺身隊(合法)をごちゃ混ぜにして、非道の限りを尽くした物語=嘘を作り出す反日左翼さん
>
> <暴力団並みの悪辣さ=朝鮮高校生の無法>を読んだら、どんな反論をしてくるのでしょう?
> こういうことを同じ東京に住んでいた団塊世代でもまったく知らないで、左に傾いた人生を過ごしている人もいるようです。

団塊の世代で東京に住んでいて知らないということ、ありえないです。
東京の旧国鉄でも私鉄沿線でも駅前の一等地にパチンコ屋があります。
あの土地は全部、連中が占拠して勝手に自分のものにしたものです。
戦前から東京に住んでいたなら、それが誰の土地であったか、当然知っています。
私の祖父の家も便利なところにあったので取られました。
こうしたことを知らないのは1960年以降の高度経済成長期に地方から東京に出てきた人達です。
東京もこうした人ばかりになってしまいました。

>
> 私は日本が西欧に開国した時代から外国人が入った地域に育ったので、特に朝鮮人がどんなものなの知っています。密造酒、日雇い人夫~公共料金料金不払い、不法占拠、警察が出入りしてました。
>
> いくら<韓流ブーム>などと言って電通が宣伝しようと、過去の事実を消せるものではありません。朝鮮からの引き上げの苦労話なども知っていますから、謝罪と賠償があってもいいくらいなのに、性奴隷捏造碑を世界中に建てるなんてあり得ない!
> もっとも敗戦後にあんな非道を繰り返せる朝鮮人にはお似合いなのかもしれません。

敗戦後だけではなく関東大震災の時にもありました。
日本人の力が弱まると、必ず、このような事態が起きるのです。

>
> この新聞記事はあの強制連行なかった<大半、自由意思で居住 戦時徴用は245人>という有名な記事に匹敵するくらい衝撃的な記事ですね。
> 発行した新聞社の名前とその日付が見えると、さらに衝撃は広がりそうだと思います。

当時の日常茶飯事です。同級生なら誰もが知っている話。
でも・・今後はどんどん死んでいくので、忘れられるでしょう。
  1. 2014-08-09 14:33
  2. URL
  3. 矢野友遊 #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> ネット検索したら40年前のやまと新聞の記事とありますが、おそらく40年ではなく、50年以上前、昭和30年代前半までのことではないかと推測します。
> https://twitter.com/yamatopress_sta/status/486859014634868736

この新聞は有料会員にならないと読めません。
確か昭和38年となっていたと思います。1963年ですね。
この時代まで抗争が続いていたのです。

日本は戦後、2度占領されました。
最初に占領されたのは昭和20年からで、次が中曽根内閣の時代です。
最初のは軍事的占領、二度目のが精神的な占領です。
日本が悪い国だったというのは二度目の占領以降の洗脳です。
でも中曽根は保守ということになっているので、最初の軍事的な占領時代に精神的にも占領された神話が意図的に流されたのです。
団塊世代が反日だというのは意図的な宣伝に騙されているだけです。
田母神さんや水島総氏が代表的な団塊世代です。
  1. 2014-08-09 14:50
  2. URL
  3. 矢野友遊 #-
  4. 編集

よく分かります。

お久しぶりです。
この光景、そんなに古いものではありませんよ。

小生の父は足立の出身、昭和の6年の生まれで生涯ほとんど朝鮮人という連中を信用しませんでした。連中のやったことを知っていたからです。特にチョン校の連中の非道はさんざん見ていたようですので時々問わず語りに語ったものです。

小生はある事情で小平近辺に70年代しばらくいましたがあそこにチョン大があるのですがそこの学生のおとなしさに父は驚いていたものでした。

そして70年代に小生は中高生でしたが、その頃国士舘とチョン校の喧嘩は有名でシカンが常に少数で喧嘩を買い続けチョン高を叩きまくるという図でしたこの頃に高校生をやっていたならば知っている人は多かったはずです。その頃が確か北が一番いい頃で南の軍部独裁をアカヒが批判していた頃でチョン高の連中が一番元気だった頃だと思います。

当時の先輩に父親が南の全羅道出身、母親が日本人の在日の人がいました。日本人でも少ないながらいる苗字でしたので最初は分かりませんでしたが付き合ってるうちにわかりました。正直な人で父親が朝鮮戦争から逃げて密航してきたこと、朝鮮総連の実体や韓国内部の地域対立といったこともその時に知りました。
先輩は父親が死んでからもう義理はないだろうということで帰化しましたが、韓国との関係で日本が引け目に感じることなんか殆ど無いはずだと言ってたのが印象的でした。

だって曲がりなりにも在留させてくれてんだから…韓国じゃ絶対考えられないぞ。

といっていたのを思い出します。慰安婦問題の時も売春婦は昔から多かったからなあ、で終わりでしたね。
70年代後半の光景です。
  1. 2014-08-10 22:10
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

Re: よく分かります。

> お久しぶりです。
> この光景、そんなに古いものではありませんよ。
>
> 小生の父は足立の出身、昭和の6年の生まれで生涯ほとんど朝鮮人という連中を信用しませんでした。連中のやったことを知っていたからです。特にチョン校の連中の非道はさんざん見ていたようですので時々問わず語りに語ったものです。
>
> 小生はある事情で小平近辺に70年代しばらくいましたがあそこにチョン大があるのですがそこの学生のおとなしさに父は驚いていたものでした。
>
> そして70年代に小生は中高生でしたが、その頃国士舘とチョン校の喧嘩は有名でシカンが常に少数で喧嘩を買い続けチョン高を叩きまくるという図でしたこの頃に高校生をやっていたならば知っている人は多かったはずです。その頃が確か北が一番いい頃で南の軍部独裁をアカヒが批判していた頃でチョン高の連中が一番元気だった頃だと思います。
>
> 当時の先輩に父親が南の全羅道出身、母親が日本人の在日の人がいました。日本人でも少ないながらいる苗字でしたので最初は分かりませんでしたが付き合ってるうちにわかりました。正直な人で父親が朝鮮戦争から逃げて密航してきたこと、朝鮮総連の実体や韓国内部の地域対立といったこともその時に知りました。
> 先輩は父親が死んでからもう義理はないだろうということで帰化しましたが、韓国との関係で日本が引け目に感じることなんか殆ど無いはずだと言ってたのが印象的でした。
>
> だって曲がりなりにも在留させてくれてんだから…韓国じゃ絶対考えられないぞ。
>
> といっていたのを思い出します。慰安婦問題の時も売春婦は昔から多かったからなあ、で終わりでしたね。
> 70年代後半の光景です。

普通に生活していれば知っているはずの事を、なんで綺麗に忘れてしまったのでしょう?
意図的な情報工作が1980年頃からされて、変な教科書で学ぶようになったからでしょう。


  1. 2014-08-12 22:46
  2. URL
  3. 矢野友遊 #-
  4. 編集

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