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2014-02-22 14:54

出戻り男は信用できない

河野洋平は自民党の有力議員だと思っている人も居ると困るので書いておく。
彼は新自由クラブの党首である。

新自由クラブ(New Liberal Club)は、かつて存在した日本の政党。
1976年に自由民主党の河野洋平、西岡武夫ら、自民党内の親中派による超派閥政策集団・政治工学研究所所属の国会議員が政治倫理を巡り離党して結成され、10年後の1986年には自民党への合流に伴い解散した。

ロッキード事件で田中角栄前首相に捜査の手が及ぶなど政治倫理が大きな政治課題に上っていた頃である。
この時期に「もう、自民党はすでに歴史的役割を終えた」として離党して、新たに結党したのが新自由クラブである。

これと同じ台詞を吐いてでていったのが、東京都知事になった枡添である。


新自由クラブの前身となったのは、河野が自民党内の親中派若手を集って主宰した勉強会「政治工学研究所」で、離党した6人のほか、藤波孝生、橋本龍太郎らも参加していた。なお、藤波は河野の誘いを断って自民党に残留した。

新中派の大本山である田中角栄が失脚する中で、俺たちはクリーンだと出て行った連中である。
しかし、自民党は汚い・・・という世論の中で結党直後の12月に行われた第34回衆議院総選挙では一挙17人を当選(さらに追加公認1人)させるなど党勢を伸ばした。

もう、こうなれば自民党ではないでしょう。
自民党を批判して、自民党と戦ったのだから。

しかし、その後、河野と西岡が対立し、西岡は離党した。
みんなの党みたいですな。

新自由クラブのブームは短く、次の選挙で4名しか当選せず、弱小政党として自民党と連立を組んだり、
社会民主連合と院内会派を結成したりと支離滅裂。

1986年には河野はどさくさに紛れて自民党に復党。
残されたのはクロード・チアリで、夜霧のむせび泣き。


会社でも、そうでしょう。
苦しい時期に、社員が建て直しに努力している時期に、
「もう、この会社は駄目だ」と出て行った人間を誰が信用するか?
出て行くなら会社の調子が良い時でしょう。

中曽根がこうした裏切者を復党させるから、とんでも談話を発表することになるわけです

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コメント

二人の殿様

細川の殿様が江戸の将軍になったとき、テレビは彼を誉めそやして河野にも髷物姿にして両者を並び立たせました。

マスコミが誉めそやす人物の後日談は、実にみっともない姿になるものです。テレビに恥を知れと言うのも空しいですが。
  1. 2014-02-22 15:24
  2. URL
  3. 相模 #6YXK25qU
  4. 編集

思い出しました。
クロード・チアリでたんだよなあ、選挙に・・・

この男は自民党総裁で総理になれなかった最初の男でしょう。
普通出戻りというのは普通の場合よりも忠実にならねばいけないのですがこの男はそうではなかったようです。
少なくとも党務のみに専念させて政策にタッチさせるべきではありませんでした。
内政はともかく外交防衛安保は統一した意思の継続が必要だと思います。
  1. 2014-02-22 22:01
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

マスコミ受けだけ狙った最低男です。
許せん。
  1. 2014-02-22 22:03
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

kazkさんへ。
しかし、IZAと違ってコメント返信できずに不便です。

結局、河野一郎の息子と言うことで中曽根が甘やかしたのです。出戻り社員を社長にしてはいけません。
総裁であっても、首相はゆるされません。新自由クラブで政権を取って主首相になることを目指すべきです。
その時、クロードの旦那も大臣に。
  1. 2014-02-23 12:38
  2. URL
  3. 友遊 #-
  4. 編集

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