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2013-08-22 01:48

はだしのゲン

 

 

 

 

連載誌

1973年 - 1974年 - 週刊少年ジャンプ
1975年 - 1976年 - 市民(オピニオン雑誌)
1977年 - 1980年 - 文化評論
1982年 - 1985年 - 教育評論

朝日新聞の平和問題担当記者や漫画評論家の石子順などの働きかけを受け1975年、汐文社より全4巻の単行本が刊行される。

当時「漫画は低俗なもの」とされていたにもかかわらず大江健三郎の激賞を浴び、また生協の販路にて「良書」として紹介されるなどの高評価を受けた結果、『ジャンプ』の主な読者層である少年のみならず大人の間においても浸透し、ベストセラーとなる。

そうして『市民』誌にて続編が連載されることとなる。

『市民』誌は支持基盤が磐石ではなく、1976年8月号をもって休刊。その後、日本共産党系の論壇誌である『文化評論』に連載の場を移す。

日本共産党はそれまで核均衡理論に基づいて中国やソ連の核を認める立場を取っていたが、当時の日本共産党は中・ソと対立し、日本社会党などと協力して核の全面的な禁止を訴える論調をとっており、「はだしのゲン」の連載はその格好の宣伝材料となった。

しかし1979年頃から社会党は公明党や民社党などとの連立政権を模索しだし、共産党を排除する意向を示す。同時に総評も共産党排除の意向を示し、原水禁(社会党・総評系)・原水協(共産党系)による原水爆禁止運動統一の動きが混乱する中、押し付け型の原水禁運動を展開する政党と原水禁運動の当事者たちとの対立が表面化してきたこともあり、原水禁運動の当事者たちと論を同じくする「ゲン」は打ち切りとなる。

その後、日教組の機関紙『教育評論』で連載を続行する。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となった結果、1980年代の子供達の間に「ゲン」が広く浸透することとなる。


以上、WIKIより転載。

 

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コメント

No title

こんにちは

私の母は、丁度 呉に居ました。
直接の被爆は無いですが、今 考えると間接的に 被爆してると思います。
確かに 投下後 http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25B2%25E3%2583%25B3/" class="keyword">ゲンの様な悲惨な状況は、目にしたと聞いています。
しかし 強制労働の様な事は聞いたことが無いし 朝鮮人を卑下して
見ていたのは事実ですが、朝鮮人が一緒に居ることに対しては
別段 何もなかったと聞いています。
全くの http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2597%25E3%2583%25AD%25E3%2583%2591%25E3%2582%25AC%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2580/" class="keyword">プロパガンダ漫画の部分も有りますよね。
  1. 2013-08-22 21:11
  2. URL
  3. zuka1123 #79D/WHSg
  4. 編集

No title

To zuka1123さん
>こんにちは
>
>私の母は、丁度 呉に居ました。
>直接の被爆は無いですが、今 考えると間接的に 被爆してると思います。
>確かに 投下後 http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25B2%25E3%2583%25B3/" class="keyword">ゲンの様な悲惨な状況は、目にしたと聞いています。
>しかし 強制労働の様な事は聞いたことが無いし 朝鮮人を卑下して
>見ていたのは事実ですが、朝鮮人が一緒に居ることに対しては
>別段 何もなかったと聞いています。
>全くの http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2597%25E3%2583%25AD%25E3%2583%2591%25E3%2582%25AC%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2580/" class="keyword">プロパガンダ漫画の部分も有りますよね。

全くのプログラムされたhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2597%25E3%2583%25AD%25E3%2583%2591%25E3%2582%25AC%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2580/" class="keyword">プロパガンダでしょう。

1945年 敗戦
1960年代まで一部を除いて自虐史観はなかった。
その一部・・1965 ヒロシマノート
1970年から1980年代:自虐史観を日本に植えつけるための工作時期
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2581%25AF%25E3%2581%25A0%25E3%2581%2597%25E3%2581%25AE%25E3%2582%25B2%25E3%2583%25B3/" class="keyword">はだしのゲンは、その象徴。
それでも市販雑誌では連載できずの、最期は日教組の機関紙で連載するしかなかった。

1972:中国の旅 本多 勝一
1982:http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD/" class="keyword">中国帰還者連絡会編『新編三光 中国で、日本人は何をしたか 衝撃の告白手記. 第1集』

1965年から1985年生まれの世代が一番、この工作の影響を受けたが、1995年以降のネットの普及で覚醒が始まる。




  1. 2013-08-23 08:16
  2. URL
  3. yuyuu #79D/WHSg
  4. 編集

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