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2013-06-08 10:58

日本経済についての認識

Commented by kazk さん


大変に詳細な解説ありがとうございます。仰られることは分かるのですが、そこを敢えて反論させて頂きました。何よりも小生、この大八洲より出たことがありません、と言うより北海道にも四国にも沖縄にも行ったことがないので他の世界を根本的に知りません。それを前提に物を言っております。

正直まだいくつか疑問があります。
まず一点目。

 

>欧州諸国が多文化共生思想にカブレタから移民を受け入れ社会秩序の崩壊を招いたのではありません。
それぞれの国の人口が少なく、消費がジリ貧となり、生産を支えられなくなったので、(略)これを防ぐには収入に見合った消費が行なわれるよう市場を変えることです。それは戦前の世界に戻れば良いのです。

 

まず、前提として知らないことを改めて申し上げます。その上で欧州諸国は少なくとも日本より成熟した消費市場を持っていたはずです。収入に見合った消費が行われていたのではないでしょうか。それで生産を支えられなくなっているというのではどういう意味があるのでしょうか。

戦前期の日本は、巨大な農村社会と例外的な都市住民がおり、国内重工業生産の発達で1930年代くらいからようやく都市中間層が成立したに過ぎません。これはたしかに収入に見合った消費をする、と言うかせざる負えない社会でした。そういう社会が生産の拡大を支えていたとはいえない気がします。それを支えていたのは人口増加に伴う余剰人口の都市流入であり、その消費だったのでしょう。いわば大量の貧乏人だったわけです。おそらく戦争というもの癌くても同じ構造だったのではないでしょうか。

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欧州と言うユーラシア大陸の西の隅にある寒冷地域は、常に大陸中央からの侵略(蒙古・チムール、サラセン、トルコ)に晒されており、迷信と邪教の巣でありました。文明の中心はアジアにありました。

数学・科学・化学による明晰な思考はアジア独自のものであり、西洋はこうした知的な思想とはかけ離れた西欧的蒙昧の中にありました。17世紀から18世紀に至るまで彼らは魔女狩りをやっていたのです。

日本では16世紀の楽市・楽座に見られるように商業の自由を認め推進する政策が取られました。17世紀の江戸は世界最大の都市であり、かつ商業地でありました。

戦後のマルクス主義歴史観では、江戸時代は封建時代・鎖国といった遅れたイメージを定着させようといますが、江戸時代は、それに先立つ室町・戦国時代の果実を江戸幕府が独占しただけであり、鎖国していたわけではありません。

平安末期から鎌倉・室町・戦国時代の歴史は、まだ多くが埋もれていますが、わが国が「黄金の国」と呼ばれるだけの権勢を世界に誇っていたと思います。

当時の日本は巨大な貿易国でありました。

 

ですから「戦前期の日本は、巨大な農村社会と例外的な都市住民がおり、国内重工業生産の発達で1930年代くらいからようやく都市中間層が成立したに過ぎません」とは思ってないのです。

 

「そういう社会が生産の拡大を支えていたとはいえない気がします。それを支えていたのは人口増加に伴う余剰人口の都市流入であり、その消費だったのでしょう。いわば大量の貧乏人だったわけです。おそらく戦争というもの癌くても同じ構造だったのではないでしょうか」

 

これも、戦前は貧しい悲惨な時代だったという戦後の歴史学者に影響を受けている見かたではないでしょうか。

 

日本は江戸時代に商業が大規模に発展し、農村には手工業が発展し、やがて近代産業へ発展していった。

幕末に江戸幕府や雄藩は兵器工場を含め様々な工場を作るが、これを可能にする社会構造は既に出来ていたのです。

これは明治以降は官営工場になり、直ぐに民間への払い下げが行なわれる。

 

江戸時代のライフスタイルは明治から昭和の初期まで連続しており、その後、戦争になります。

多くの人は戦前と戦後は繋がってないと考えています。

戦後に「別の世界が生まれた」というようにしたいわけです。

しかし、戦前の経済と戦後の経済は切れていません。

主要な大都市の中心部は爆撃されて焼け野原となりましたが、その近隣の中都市は爆撃されていません。山間僻地も米国は爆撃しませんでした。

そして地上の建物が破壊されても経済は破壊されたわけではないのです。建物が破壊されたら、経済的にはそこにニーズが生まれたという事です。建物もテレビもく車も破壊されなければニーズは生まれません。

経済と言うのは具体的名経済主体の連合であり、これは爆撃でも破壊できません。

江戸時代の経済は明治から昭和まで続き、これが壊されるのは新自由主義が日本の経済政策に採用された2000年以降です。

 

日本経済の素晴らしさは階層が固定したものではない事です。

士農工商も固定されたものではなく、自在に望むところに行けた。幕末には商人出身の勤皇の武士がいたし、農民出身も居た。

そして才覚があれば、チャンスを与えられ出世した。

そして成功した人は、才覚のありそうな後輩を援助した。

 

私の祖父は田舎から出てきて、書生をやるながら大学を出て、事業で成功して、大きな屋敷を構えたが、そこには郷里から学生を大量に書生として引取り、大學の学費まで出して援助した。

父は本来は富豪の息子であるはずが、他の引取った書生と同じう貧乏書生の待遇であった。差別がなかったと言ってました。

これが戦前の金持ちの金の使い方です。

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まず、前提として知らないことを改めて申し上げます。その上で欧州諸国は少なくとも日本より成熟した消費市場を持っていたはずです。収入に見合った消費が行われていたのではないでしょうか。それで生産を支えられなくなっているというのではどういう意味があるのでしょうか。

 

この部分は、成熟した市場を持っていて収入に見合った消費を行なっても一国の人口が少ないのです。

日本のように1億2000万陰に人口を抱えた国はありません。

 

小さな工場を訪問してみると・・

「国内市場はとっくに売り尽くし、シェアはNO1である。その後、欧州市場に販売を伸ばした。それでも、もう一杯だ。どないしましょ」という話になる。

米国市場は?」

「もう、とっくにOEMで出してます」

「中南米は」

「今、やってます」

こんな小さな工場で・・と思うが現在の工業の効率のよさは恐ろしいものです。だから国内市場では支えられないのです。

 

国内市場が小さいのでユーロで経済圏を統一したい。

言語も宗教も民族も異なるので多文化共生という考え方が出てきる。すると黒人、中近東、中国からも「おら多文化共生なら

行くだ」とやってくる。

これが植民地を失った西欧の悲劇です。

自業自得と思いますが。

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コメント

No title

この辺りは若干疑問では有るのです。

>これも、戦前は貧しい悲惨な時代だったという戦後の歴史学者に影響を受けている見かたではないでしょうか。
日本は江戸時代に商業が大規模に発展し、農村には手工業が発展し、やがて近代産業へ発展していった。
幕末に江戸幕府や雄藩は兵器工場を含め様々な工場を作るが、これを可能にする社会構造は既に出来ていたのです。

別に小生は農村=悲惨、都市生活者=裕福といった見方や都市生活者=ルンペン・プロレタリアートと言った見方はしていないつもりです。

記録によれば江戸の最盛期に江戸人口は推定150万以上という見解も有るようですが、これが明治初年には60万にまで落ちます。都市に居住する純粋消費者としての武士が消滅すると、まさに人口急減となりました。これは10年もへずして戻りますがこれは都市生活者が裕福だったことの証左でしょう、同時に都市を離れられなかったのは当然資産を有していたからで決してルンペンではなかったのは当然でしょう。

しかし、当時4000万程度だった人口は明治末期には6000万を超えていたはずです。当時の農村構成ではこの人口は吸収できず、これが都市に流入したことは明らかでしょう。都市住民の間にだって資産価値の差による生活程度の差や生活条件の良し悪しは当然にあったわけでして新規の流入者が不利だったのは当然に過ぎません。

また東京は大震災により人口の停滞が起きます。1925年から30年くらいは当時の産業構造の影響もあり大阪の人口が一時は東京を上回っていたはずです。その後戦災で破壊され、またリセットされます。当然都市住民が皆殺しになったわけではありませんから同じ事が繰り返されたのでしょう。

当然に江戸からの継続はあったはずですし、明治の農村が言われる程に悲惨だったとは思いません。しかし、都市への流入や満州や朝鮮への入植、海外移住などの例を見ると新規の都市住民が裕福だったとはとても思えません。

東京に住めばだれでも分かることですが昔のお江戸は本当に狭い地域にしか過ぎません。

(続きます)
  1. 2013-06-12 09:41
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

No title

東京(に限らず都市)は人口の拡大にともない拡大発展します。東京都民とは言っても小生の父などは足立の農家のせがれです。やってることは田舎と何も変わりませんでした。

これが都会に出ると当然に生活習慣の差や生活程度の差はあり、新規流入者が貧乏からスタートしたというだけです。東京圏は150万から始まり現在は3400万でしょう。東海道メガロポリスは全体では6000万を超える人口が集中してるはずです。これの多くがスタートは貧乏人だったというだけです。

発展途上国は現実に、そしてこれからとんでもない都市問題を抱え込むわけでしょう。日本の場合、経済の発展によりそれが裕福になっただけに過ぎません。

日本は経済的な格差が階層差に変化しない稀な国でした。それは明日は昨日は酷かったが今日は良くなった、昨日はもっと…という気分を持てたことが多分に大きかったのでしょう。

小生これが日本の消費というものが階層化しなかった最大の原因ではないかと思ってます。トヨタあたりはいつかはクラウンと思ってたんでしょうがそうはなりませんでしたよね。

結局一番行き詰まってるのは今までのやり方なんでしょうか。みんなが同じ消費というのはもはやできなくなってるというのは間違いないところだと思います。

この15年http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2587%25E3%2583%2595%25E3%2583%25AC/" class="keyword">デフレというやつで国民所得が増えないのはともなくとしてこれでは本当に「自己実現のため消費を楽しむ」などという感覚は持てないでしょう。グローバルなんたらとやらは基本http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB/" class="keyword">アメリカ化ですからそういう固定化を招きかねないものでしょう。

多分これからの成長はyuyuu様仰るところな多様な消費に見合った生産でしか実現はされないのでしょうね。

(ここで続きます)
  1. 2013-06-12 10:12
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

No title

そこで、1億2千万の人口というやつが効いてくるのですね。現実に今だって多品種少量生産化してる部分が多いわけですからある程度の量が捌けなければ打つ手が無いでしょうね。

ただ問題は日本人がかかるマインドを持てるでしょうかということです。これってある意味戦前回帰でしょう?おそらく消費の多様化というものは受け入れられるとしてもおそらく階層の固定化は嫌うでしょう。だから新自由主義などは潰すしか無いのですが…

物事は原因と結果がきちんと分かる人は少ないでしょうからこの辺りが一番ネックなのではないでしょうか。以前どちらかで仰っていたような気がしますが、戦後日本には妙な平等観念というものが根付いてしまったような気がします。

金持ちがまともな消費をしないというのは紛れもない事実でしょう。何しろ寄付という文化がないことは明白でしょう。戦前の名士たちは寄付により私立学校を作るなんてことは当たり前にやってましたよね。それが今は教育バウチャーですからかなり変としか言えません。

小生今の小金持ちの増加は基本税制の歪みにしか過ぎないものと思ってます。尊敬される金持ちがいなくなったということでしょうか。
ただどちらにしろ多文化共生などはまっぴらごめんです。日本の文化を敬愛しそれを受容し、それに従い生きるというならば、当然ウェルカムですが今の難民共は一体何なのでしょうか。他国に国家内国家を作ろうとしてるとしか言えません。

その辺りが自分で自分の首絞めてんだということがわかっているのか疑問でなりません。



  1. 2013-06-12 10:38
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

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