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2013-05-18 15:58

松竹梅のある市場

To kazkさん
>To yuyuuさん
>>
>>最期の部分は・・・日本では誰も知らない話になってます。
>>しかし、日本市場が成熟しないのは、これが原因です。
>
>揚げ足取りするわけではありませんが、日本以外を知らぬので「成熟した市場」の概念がわかりません。
>この辺り一度詳しくご指導いただけたらと思います。

------------------------------------------

コメント返しをエントリーにしました。

トラックバックの禁止されたIZAの世界では、

次に来るのはコメント禁止でしょうから、コメント欄に消えてしまうおそれがある。

 

しかし、アンチンボルドの絵などを載せると著作権違反を心配して本文も消えるが・・・・・・・

 

 

 

わしは15世紀の画家であるから著作権は切れてまんがな。アンチン談。

 

さてkazkさんの質問は過去のロビンソン・パットマン法に関するエントリーを読まないとわからない。

 

http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/2729551/

 

 

ロビンソンパットマン法の下では同じ品質の商品は同じ価格で小売業者に卸さねばなりません。

 

 

しかし、この法律はスーパーマーケットを生んだだけではなく、一方でハイエンド市場を生みました。

 

ある程度の合理化競争が終われば、市場にある同じ品質のものは同じ価格になるからです。

これは消費者から見ると価格に見合った品質しか期待できないのです。また、高いものを買えば、その価格に見合った品質が期待できるのです。

 

ですから米国では同じブランドでも、特上・上・松・竹・梅と品質の差により別々の商品がラインナップされています。

そして、それぞれに顧客層が存在しているのです。

顧客層にあわせて店舗形態が存在している。

顧客にあわせて顧客管理が存在するのです。

市場が顧客ニーズに合わせて別々に存在し、棲み分けがはかれており、それが顧客ニーズにもマッチする。これを成熟した市場と言ったのです。

 

日本のように品質と価格に厳密な区別がない場合は、安い商品に顧客が集まる。

100円のインスタントラーメンと同メーカーで品質のものが50円でコンビニブランドで売っていれば、消費者はそちらを購入するでしょう。

今まで50円のラーメンを作っていた中小零細メーカーは倒産する。そして、誰も150円や200円のラーメンは作ろうとしない。

顧客は欲求不満になり商店街を離れてインターネットで購入する。見ても見なくても同じ商品しかないのですから。

 

これでも、日本市場は成熟したと思われているのです。

日本の流通業者が見に行く米国の流通視察は、低所得者向けの市場ばかりなので、イメージが沸かないのです。

小売業者はそれをいくらで売ろうと自由です。

でも、同じ価格で仕入れたものを他店より安く売るには効率化を推進するしかないのです。スーパーマーケットなどが生まれたのは、これが背景です。

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コメント

No title

論旨はよく分かるのですが自分の思考の確認訓練も兼ねて敢えて反論を展開してみようかと思います。

おそらく卸値で一物一価を決める法律があれば企業は、小売大手に叩かれて小売価格が低下する心配がないので、適正な品質に適正な値決めが出来るということだと思います。その結果、同一ブランドで品質価格に差がある多種の製品が供給されるのでディスカウントのような店から高級専門店に至るまでの住み分けが可能になるのだということでしょう。ウォルマートとティファニーあたりの高級店が両方あるんだという図式でしょうか。

最初に小売の多様化は果たしてよい物なのでしょうか。日本のような市場では値段の高いものであっても値段は叩かれることになります。これは結局低収入の消費者でも良い消費財を購入できる機会を増やすことになるでしょう。これは消費の多様化をもたらすでありましょう。

多様な市場が形成されてしまうと収入に見合った消費しかしなくなるのではないでしょうか。世の中は貧乏人のほうが多いのは当然ですし高級品も陳腐化すれば価格を下げて広い層に売らねばならぬはずです。これは商品開発力を上げ企業にも利益をもたらすのではないでしょうか。

消費者の側でも同一の小売で高級品を買えるというのは、基本中間層の増加という現象をもたらすのではないでしょうか。今日の消費財は基本大量生産品です。容易にコモディティ化し安値競争にさらされますが、総じて品質自体は向上するはずです。支那あたりの家電量販品を見ればその辺りは明白です。とするならば小売市場は多様化しないほうがよいのではないでしょうか。

この発想は地方のみならず都市近郊地域でも中傷小売の消滅という結果を招いています。しかし他方大型量販店の普及は大型店舗であることから一店で多様なニーズを満たすという利点もあるかと思います。これは激烈な競争を招きますが新規参入がある限り問題は少ないのではないでしょうか。

例えば今日でも日用品に関して年収200万と2000万の家庭でどれほどの差異があるでありましょうか。よいことかどうか知りませんがどちらも日本の大型スーパーで買い物をし、ディスカウントへ行き100円ショップにも足を運ぶのですよね。これの何処が問題なのでしょうか。



  1. 2013-05-19 23:58
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

No title

更に続きます。

日本国においてはその収入と消費の水準は必ずしも大きな差があるようには思いません。年収数千万の家庭でも日々の生活はもっと低収入の家庭とそんなに目に見えて変わるわけではないでしょう。そういう成金趣味は嫌われるというのはまだ健在な発想だと思います。

多様な市場はそれを奪うものはないでしょうか。今日のような多品種であれ大量消費の時代では、物の量産効果と相まってものは容易にコモディティ化するわけでしょう。

とすれば消費はほとんど手作り品としか言えない超高級品を扱う本当の専門店と現在の大量小売のような店と二分化するという方向しか無いのではないでしょうか。

現在はまだデフレでありますから、小生のような貧乏人はこのような発想に立ってしまうのでありましょう。消していいこととは思ってませんが、この流れは変えられるでありましょうか。

日本の消費者は馬鹿ではありませんので、大規模小売でも差別化しなければ製品は売れないでしょう。決して単なる低価格志向ではないということです。この発送がある限りは大丈夫ではないでしょうか。

自動車の話ですが、日本には基本高級車市場というものはないのだと思います特定の層が特定の車を買うというのはそう見られるものじゃないでしょう。高額所得者がワンボックスのミニバンとセカンドカーで経を持つ。http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2599%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2584/" class="keyword">ベンツやhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B5%25E3%2582%25B9/" class="keyword">レクサスを一台持つよりはるかに利口な消費をする消費者がいるだけでありましょう。

多様な小売がなければ消費も多様化しないし何よりも地方は疲弊する、というのがご趣旨であることはよく分かります。しかし地方は昔の地方を維持できるのでありましょうか。よくはわかりませんが人口数十万程度の都市に住民を集約させること以外に打つ手はないだろうという気がします。

それならば斯様な都市に於いても大規模小売や大型店で多様な消費自体は不可能ではなかろうという気がします。


  1. 2013-05-20 00:23
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

No title

更に続きます。

小生のような発想は間違いでありましょうか。これは小規模零細小売に死ねと言ってるのと同じだと認識しています。だから何?というのは間違いでしょうか。いいか悪いかは知りませんがクォーツ時計は街の時計屋をなくしました。ワープロとコピーの普及は小規模印刷を壊滅させています。


一物一価を最も守ってるのは書籍でしょう。それで小規模書店は守られているのでしょうか。

どうもこの辺りが小生にはよくわからないのであります。
この辺りの解決法も含めてご教示いただけたら幸いです。
  1. 2013-05-20 00:25
  2. URL
  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

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