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2016-12-31 23:32

年末の光景 2016年

2017年は元旦が日曜日ということもあり、正月休暇が短い。
そのため、28日も午前中で終了という会社も多かった。
商店街も30日で終わり、スーパーマーケットでも3日まで休みで、4日も10時頃から開店。
数年前までは31日まで、ばっちり開店で、そのまま正月元旦も営業という
「これなら、特に正月の準備は要らないわねえ」という時代は過ぎ去った。
原因は人手不足と人件費のアップである。
その結果・・・・以前の状態に戻ったのである。

「全ては秩序に戻る」

3日まで賞味期限の御節料理を購入し、これを摘みに明日から日本酒を飲む。

今日は昼過ぎにお寺に「お札」(3点セット)を貰いに行った。
本日の正午過ぎに、今年のお札が去年のものとなるので、速やかに張りかえる。

あとは正月の3が日に雪が降らないことを祈るばかりである。
町内を暮れの挨拶回りしたら、「足が駄目なのよ」「大腿骨骨折でやんす」と、
「雪が降ったら助けてくれ」と頼まれた。





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  1. 瘋癲老人日記
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2016-12-30 20:09

裸ではだしの子供



古いフラメンコのバラード。
「裸ではだしの子供」という曲だ。
市場の通りを裸で裸足の子供が大声で泣きながら走っていく。
その子は、迷子である。
雑踏の中で母親を見失ってしまい、大声で泣き叫びながら走っていく。
その姿は今の私の心のようだ。
私も愛する人を見失ってしまった。
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スペインでは昼食の後に昼寝をして夕方、起きて仕事をする。
そのため夕食の時間が後ろにずれて、夜の9時頃になる。
夕食後は11時頃から遊びに行く。
私はフラメンコが好きで、良く聞き行った。

この「裸で裸足の子供」という曲。
児童ポルノで逮捕されそうな標題でああるが、この心情はよくわかる。
若い頃には、誰でも、このような恋をするものだ。

  1. スペイン
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2016-12-28 23:28

最も静かな時刻

嵐をもたらすものは、もっとも静かな言葉である。
鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

これは、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の第二部「最も静かな時刻」の最後の部分に出てくる言葉である。
私がこの本を読んだのは1966年であり、15歳の頃である。

1966年から中央公論は「世界の名著」というシリーズをスタートさせた。
この手の全集が出ると、書店の外商部が我が家にやってきて、予約注文を取るのである。
連中にはノルマがあるらしく、必ずやってきては「予約注文書」に印鑑を押すように薦める。
母は断るのが苦手な、お嬢様であるから、殆ど無抵抗に印鑑を押してしまうのだ。
私の記憶では、第一回配本は「ニーチエ」であり、手塚富雄訳であった。

こうして、私は「ツァラトゥストラ」を読んだのであるが、奇妙な本であった。

第二部の最後は弟子達との別離である。
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時は秋だ、澄んだ空、そして午後
弟子たちよ、わたしはこれから独りとなって行く。
君たちも今は去るがよい、しかもおのおのが独りとなって。
そのことをわたしは望むのだ。
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時は秋だ、澄んだ空、そして午後

・・・・このあたりに妙に感動したりした。

時は秋である。午後2時となれば、夕暮れが迫る・・・などと日記に書いたりした。

しかし、何も焦ることは無かったのだ。若い頃は焦りたがるものである。

ただし、今、思うと「嵐をもたらすものは、もっとも静かな言葉である。」は、全くその通りと思う。

そのような例を何回と無く見てきた。

外国での商談で主張をぶつけ合う大論争よりも、静かに事実を示せば流れが変わる。
ディベートの技術がいくら上達して、例え勝ったとしても、それだけである。

.鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右する。

これも、その通りである。
思想とは・・歴史認識と世界の見方である。
これが静かに、喧騒マスコミが気付かない程、ゆっくりと鳩の足で歩んできて世界を変える。


  1. 瘋癲老人日記
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2016-12-24 15:28

マタイ受難曲








マタイ受難曲は「マタイによる福音書」の26章と27章を歌にしている。
音楽は2部にわたり、結構長いが、マタイの26.27章は長いものではない。
ライ病患者の家で、イエスの頭に高価な香料を付ける女が突然、現れるところから始まり。
ユダが金貨30枚でイエスを売る場面、最後の晩餐、逮捕、裁判、ユダの自殺、金貨30枚をどう処理すべきかの相談、鞭打ち、ゴルゴダの丘への道程、磔刑・・・と実の多くの事が書かれている。

夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
そして、一同が食事をしているとき言われた、
「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
イエスは答えて言われた「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。
しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。
その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
イエスを裏切ったユダが答えて言った、
「先生、まさか、わたしではないでしょう」。
イエスは言われた、「いや、あなただ」。

matai
  1. クラシック音楽
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2016-12-22 07:23

CAD/CAM談義

CAD(computer-aided design)とはコンピュータ支援設計。
コンピュータを用いて設計をすること。
そのためのシステムがCADシステムである。
人の手によって行われていた設計作業をコンピュータによって支援し、効率を高めるのが狙い。

昨日、町内の元大手企業の設計部門に居た老人と・・・あれが導入されたのは、何時頃だったけかなあ・・・という話をした。
システムとしては1960年頃に開発されている。
しかし、実際に職場に導入されたのは1985年頃である。
私など団塊世代が30代の後半に入りかけた頃。
対話した町内の老人は40代の半ばであり、CAD導入を推進した。
彼は現在70歳代である。

こうした業務のIT化については、実は中小企業が先行した。
その理由は簡単で、企業規模が小さいので社内への導入が簡単だkらである。
確かに高額なシステムであるが、駄目ならまた変えれば良い・・というノリで、ホイホイ導入。
・・・・・ところが大手は、反対する人が多くて、意思がまとまらず。
全社導入ともなれば膨大な費用が掛かり、かつ、間違って下手なシステムを選べば終わり(簡単には替えられない)。
なので、どうしても慎重になる。

その結果、中小企業でCAD推進は当時、30代の団塊世代。
大手企業では当時40代の戦中に生まれた世代となる。
私などは30代の後半に取締役となったが、
これはIT推進により経費の大幅な削減が評価されたから。
最初に自分で見積もって見て驚いた。
凄い経費節約と効率化が達成される。
やってみて、確かにその通りとなった。
日本のIT革命を推進したのは団塊世代及び戦中派なのである。

1980年代後半から1990年代初頭にかけてのMS-DOS地獄が、
ウインドウ95の登場でパッと窓が開いて、その後は急速に普及していく。

しかし・・・・我々は効率化に夢中になり、あの件については分っていたけど甘く見ていた。

CADは製図作業や図面作成が正確に処理できる。編集が容易。
繰り返し図形をコピーで作れるので効率的に作図可能。また、類似図面の作成が容易。
データ化したものを別の製品に再使用が容易。
ソフト間の互換性があるため・・・社内・関係会社で共有が可能。
そこで留まらず、社外・・・国外にまで流出してしまうのである。

こうして日本の周辺に図面の闇市ができました。
その闇市で購入してきた図面を、適当に組み合わせれば・・・設計図ができちゃうんですねえ。
こうして、日本経済新聞は「日本は負けた」「追い越された」と中国・韓国を褒め称える・・・一時代がありました。

しかし、それも終わりつつあります。
  1. 団塊世代の真実
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2016-12-17 23:22

ロ短調ミサ



大学の交響楽団と合唱団は、この時期になると、ミサ曲ロ短調の最後の仕上をやっていた。
もう45年前の話であるが・・・。
今日、久々に妹に電話したが、年を取ったので、第九は元気過ぎて疲れる。
数年前から、ロ短調ミサばかり歌っていると話していた。

確かに、その通りだと答えた。
  1. クラシック音楽
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2016-12-11 22:28

露西亜の市場

2000年頃、露西亜に市場調査に行ったのだが、悪い印象は無かった。
ただ、社会主義の体制が崩壊すると、どのような市場が出現するのか・・・それは悲惨ですよ。
いずれにしても、この時期から日本企業は露西亜市場について調査して、進出を検討したのは事実。

トヨタは2005年にサンクトぺテルスブルグに工場を設立して2007年に稼動。
日産は2003年にサンクトぺテルスブルグに法人を設立し、工場の稼動は2009年である。

設立から生産開始までえらく時間が掛かったのは、部品メーカーが存在しなかったからだと聞いている。
いくら日本のメーカーでも現地の部品が全く無ければ・・・・組み立てられないですからね。
輸出した方が効率的だわ。
・・でなんで部品メーカーが無いのか?
社会主義体制の崩壊と、急速な自由化の中で国立の自動車工場が倒産した。
部品メーカーも自動車組立工場と一体となっていたので、一緒に倒産して・・・そして、誰も居なくなったからである。

しかし、そのような条件化であってもトヨタは2007年に生産が開始している。
日産も2009年には生産開始。
三菱もプジョーグループと一緒に生産を開始。

米国一本足打法のホンダはロシアの進出が遅れたが2011年頃には設立を検討した。
しかし、日本のマスコミは「やめれ」の大合唱。

いすゞは露西亜の自動車会社と合弁で露西亜国内生産を開始、マツダも同じようなことを検討。
日野も富士重工もなんかやっている。

しかし、日本のマスコミは中国への進出は大絶賛するのに、
露西亜への進出は無視するか否定する。
とても面白い反応である。
・露西亜の市場は可能性が無い。
・露西亜はとてつもなく不景気で、もう駄目ポ。
・露西亜は信用できない。騙されるな。

・・・という論調で2005年頃から全くぶれない。
それは「中国様に失礼だろう」というようにしか聞こえない。
彼らが書いていたのは?
・中国の市場は可能性が無限。
・中国はとてつもなく景気が良い。
・中国の政治家は日本人と違い大人物である。
・日本企業は中国様に奉仕すれば許される。
・・・というような話である。

全てが嘘でした。
  1. 露西亜
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2016-12-04 12:40

秋の音



5年前の動画であるが、今と何も変わっていない。
  1. 瘋癲老人日記
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2016-12-01 17:50

ペンシルべニアの思い出

ペンシルベニア州はアメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つであるが、東部のフィラデルフィアではなく、
五大湖に寄ったピッツバーグは以前は鉄と石炭の町であった。
近所のアパラチア山脈で石炭が取れるので、ここに鉄鉱石を持ってきて製鉄したんだな。
五大湖と接続するオハイオ川もあるので、重い鉄も船を使って運べた。
その結果、五大湖の周辺に自動車工場が出来たのだ。

これが駄目になったのは1980年代である。
1980年頃は悲惨な状況であった。
そして、今は、この周辺は赤錆ロードとなってしまった。
隣のオハイオ州クリーブランドも同様ね。

s-s-012.jpg

昔の写真はこんな感じです。


  1. 米国
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