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2016-09-30 12:17

同じ言葉を使う人は同じ地区に住む

1990年頃に猫と電子レンジの話が実業の世界でも流行した。
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訴訟大国アメリカの異常性を示す典型的なエピソードが、この「電子レンジ猫訴訟」(猫チン事件)である。
事の起こりは、ひとりの老婦人が、子供たちから一台の電子レンジをプレゼントされたことだった。彼女はある雨の日、外に出てずぶ濡れになってしまった愛猫を、電子レンジで乾かすことを思いついき、実行に移した。そして、当然の結果として、彼女が再び電子レンジのふたを開けたとき、気の毒な猫はすっかり内側から調理されていたのだ。
このことにショックを受けた老婦人は、あろうことか、電子レンジのメーカーを相手に訴訟を起こす。「猫が死んでしまったのは、電子レンジの取扱説明書に『動物を入れないでください』という注意書きがなかったせいだ」というのだ。
そして、驚くべきことに、裁判所はこの常識では考えられないいいがかりに近い訴えを認め、電子レンジのメーカーに、多額の賠償金の支払いを命じたのである!(現在、電子レンジの取扱説明書に、「動物を乾かす目的で使用しないでください」という注意書きがあるのはこのためだ)。

この一件は、「マックコーヒー訴訟」(コーヒーをこぼしてやけどした老婦人が、「マクドナルドのコーヒーが熱すぎたからだ」と訴え、勝訴して多額の賠償金を得た事件)と並び、訴訟社会アメリカの病理を示す象徴的な出来事として、わが国においてもよく知られている。
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この猫と電子レンジの話は真っ赤な嘘のようであるが、マック珈琲は本当のようである。

で・・なんで、この話が流行ったかというと「PL法対応セミナー」で、散々聞かされたかたである。
日本では1995年にPL法(製造物責任法)が制定されたが、その前には、こうしたセミナーが大繁盛していたのである。

そこで、俺達のような零細企業も対応しないといかんのじゃないか?
しかし、セミナー聞いても具体的な話はわからん。
具体的にどんな表示が必要なのか?
誰か暇そうなやつに米国に見に行かせよう。
----ということで「あんた暇だろう。行って来い」ということに。

それで米国の様々な市場で商品展示を見て、パッケージを見て、
商品を購入して、取扱い説明書を見るという役目をやるはめに。

そこで思ったこと。
実態はかなりイイカゲン。
ただし、大企業のナショナルブランドはちゃんとやっている。
これは訴えるなら金になる大企業の商品で、
金が払えそうもない零細企業の商品を訴えるやつはいない。
品質に自信が無い商品は「時間無制限保障」としてある。
「壊れたら新品と取り替えるので許してね、でも、良く壊れるからね」という意味。
そして、驚いたのは言語表示。
「あの国はグローバルでんがな。多くの言葉で注意書きが書かれているのでは?」
しかし、それはグローバル企業のみの話。
フィリップスの髭剃りの説明書みたいになっているのは大手企業だけなんです。
その地域にしか流通しない中小零細企業の商品は「インクが勿体無い」と、流通する市場の言語のみ。

グローバルな世界とは、世界の各国人が入り乱れて住んでいるのではなく、
それぞれの民族がタウンを作って分かれて住んでいるのです。
メキシコ移民はメキシコ村、中国移民はチャイナ・タウン。韓国移民は韓国街。
インド人、ドイツ人、トルコ人、アイルランド人、それぞれが集中して住んでいる。
ですから英語が話せなくても何の問題も無く日々の暮らしができるのです。
ヒスパニックの住む町の市場に行けば、表示は全てスペイン語、パッケージも全てスペイン語。
お店に入って店員に英語で話しかけても、話せないので「ニコニコ」するばかり。
床屋に入れば言葉が通じず虎刈りにされる。

ですから、日本がグローバル化されると、あちこちに
日本語の通じない地区が多数出来るということです。

有名なベルリンの地図を見てくださいね。

http://interaktiv.morgenpost.de/migranten-in-berlin/#11/52.5000/13.3200

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  1. 米国
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2016-09-26 23:35

米独・冷凍チキン戦争と日本車の進出

戦後の日本は米国と貿易摩擦を繰り返し、
常に横暴な米国に負けて非道な目にあっていた・・・と思っている人は少数だち思うが、
一部の左翼と、保守派といわれる人達はそう思っているらしい。
実際はどうだったのか?
2015年の米国内の自動車販売台数は1747万台であったが、この中で米国ブランドは795万台と45%。
(GMとフォードと、今やフィアット傘下の旧クライスラーと、日本メディア御用達のテスラの合計)
これに対して日本ブランド車は657万台と38%である。
米国車は台数は多いが、その70%は田舎の自家用車と言われるピュクアップ・トラックを含むライトトラック。
日本ブランド車もライトトラックを売ってますけど46%程度と半分以下。
そして、欧州車は156万台で9%。
これはドイツ、英国、フランスなど全欧州車の合計。ライトトラックは無いのよ。
結果が全てということなら日本自動車メーカーは米国市場で成功している。
657万台といえば、日本国内の自動車販売台数・・500万台より多い。
今年は中国市場も、日本市場での日本車販売台数を超えそうである。

さて、米国における欧州車の苦戦は1960年台の米独「冷凍チキン戦争」から始まった。
最初にドイツが米国産の冷凍チキンに高い関税を掛けたので、
米国は報復措置として、ドイツ産の様々な商品商品に報復関税を掛けた。
その中に小型トラックが入っており25%の関税を課した。
これは1960年代の初頭の話である。
この結果、特にVWの小型ピックアップトラックの輸入が制限されたが、
同様に日本製のピックアップトラックも影響を受けた。条件は全く同じ。
これだけの高関税では輸出は無理で、日本もドイツも米国に現地生産工場を設立。
でも、日本は成功したけどVWは失敗して1970年代には撤退。
このような背景があって1980年代以降は米国市場の競争は日米対決となったのだが、
最初は日本側が輸出を自主規制。いつまで続く自主規制・・・というぐらい長く自主規制をやったおかげで、
丈夫なのが取りえもピックアップメーカーであった日本車が、いつの間にやらインテリ好みのスペシャリティカーのメーカーにイメージ転換。需要より供給が少ないとプレミアム価格となり価格が上昇するのです。
するとピックアップを報復関税で排除されたドイツ車の残された分野である乗用車市場で激突したが「良きライバルである」ということで。本年の8月までの累計を見ても、良きライバル具合が伺える。

2016 1-8累計
Toyota Motor Sales U.S.A. Inc. 1,625,158
American Honda Motor Co. Inc. 1,094,725
Nissan North America Inc. 1,055,227
Volkswagen Group of America Inc.  343,636
BMW of North America Inc.  240,225
Daimler AG       245,329

日米構造協議以降のドンパチは、米国政治家のパフォーマンスということではなかったのか?
  1. 米国
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2016-09-22 13:13

市場の変化

門前仲町のボロアパートに、築地市場勤務の友人がいて「飲みに行くぞ」と連絡し「適当に美味しいところを見繕って持参して帰宅するよう」厳命すると、さすがに目利きの弟子なんで、旨いのなんのって・・・という世界を楽しめた。
その後、アパートに泊まり、朝早くから築地場内を案内されたのは1980年初頭であろうか?
その頃は大手の流通業者のトラックなども押し寄せており、築地は場内・場外ともに大混雑であった。
地方の漁港を出発した船。魚を獲ると築地の水揚げして、競りで価格が決まり、
その後、流通業者により地方に返送されるというようなシステムが生きていた時代である。

その後、流通は大きく変わった。
築地市場の扱う水産物の数量
2002年 637,498,532
2015年 436,273,849

2015/2002は68%と3割減少している。
それ以前と比べればもっと減少していると思われる。
これは、良い子が「肉ばかり食べて、お魚を食べなくなった」からだけではない。
若者が「俺達は両藩だ。箸より重いものは持ちたくない、大学に行くだ」と水産業を継ぐ者が無く、
漁場があっても漁師が不在という状態。
その結果、輸入魚及び、ご禁制の「海上物々交換」の噂もチラホラ。
そして、大手通通業者は市場で値段が決まる前に、直接、生産者から購入・長期契約。
・・・すなわち産地直送に切り替え。

その結果、
築地市場の扱う冷凍魚の数量
2002年 184,029,229
2015年  91,669,331

なんと半分になっている。

築地市場の扱う加工品の数量
2002年 229,151,827
2015年 144,042,825

2015/2002は63%と37%の減少。

冷凍魚や加工品は市場を通過しないで流通するが、
鮮魚と活魚などは、数量はそれほど減らず、単価は上がっている。
実物を目で見て判断して、良い商品を競るという「目利き」の世界のみが残される傾向にある。
それは一流料亭、高級日本料理、寿司屋を相手とする狭い世界である。
そして、今、食肉の価格が下がっているため、
今後は家庭料理及び外食産業での魚離れはさらに加速すると思われる。

築地市場の扱う鮮魚の数量
2002年 155,959,911
2015年 151,307,900

2015/2002は97%と3%の減少。売上金額は4%増、単価は7%増である。

  1. 日本経済
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2016-09-16 00:37

祭の圧力??

東京の村祭は9月である。
先週の土日がわが町内の祭。
先先週の土日が、隣の町内の祭である。
そして、今週も・・・昨日、芝大門あたりの某社を訪問したが、
町は祭の準備をやっていた。今週の土日がそうだろう。

わが町内の祭は何時頃からやっているのかと、町内の古老に聞くと。
自分の子供時代の話しか思い出せない。
「2600年にやっていたことは、間違いないです。紀元は2600年と歌つてましたから」
「その前は?」
「知らん」
おそらく、起源はそうとう古いと思われるの。
おいおい神主さんにでも聞いておこう。

さて、今年は事件が起きた。
今までに無い事件である。
ここ数年、年々、祭の人出が多くなっている。
それから「見る祭から参加する祭」を方針に、様々な仕掛けを造ったので、ますます祭は賑わう。
ところが、祭の輪の中に入れない人達が「ウルサイ、ヤメロ」と突発的に怒りながら乱入する事件が発生した。

杉並区で、祭の隊列に火炎瓶を投げる騒ぎがあり・・・「まあ、杉並区だから、シャーネエのとちゃう」と思っていたが甘かった。
火炎瓶こそ飛ばなかったが、怒り狂うという事態は同じでした。
地域共同体の復活に圧力を感じている人が逆襲に出始めたようである。

なお、杉並区の火炎瓶事件は以下の動画を参照。


  1. 瘋癲老人日記
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2016-09-03 15:23

寄合

認知症のディ・サービスを行なっている社会福祉法人に、時々、手伝いに行っている。
もう、5年になるが、最初の手伝いに行った時、ノートに氏名と訪問日、訪問時間を書くように言われた。
この時「無料奉仕で手伝いに来ている人がこんなに多いんだ」と驚いた。
世の中、捨てたものではありません。
近所の奥さんの名前もありました。
この人はパートで働いている普通のオバサンなんですけど、時間が空けば来ているようです。
でも、本人は何も言いませんから、この時、初めて知りました。

さて、認知症というのは、単なる物覚えが悪くなった老人ではなく、
忘れたことも、忘れてしまうのです。

パターンとしては・・・・
「あんた、約束に日に来なかったね」
「ああ、そうだった、御免ね。忘れてたわ」

これが普通の老人。

「あんた、約束に日に来なかったね」
「そんな約束してないわよ」
「したわよ」
「してない、なんで私に嘘を付くのよ」
・・・・これが認知症。

ですから認知症の人は周囲(家族)と衝突しやすく、ストレスが多いのです。
放浪癖も、周囲・特に家族からの孤立感から来るのではないかと思います。
「皆、私に嘘を付く、私が邪魔なんだわ」と家を出る。
ですので、第三者の立場で話をするボランティアがとても有効であり、心のケアにもなるのです。

私の話し相手は、だいたい80代の中盤以降です。
昭和6年生まれ前後です。
この方の多くはt地方から東京に出てきているのです。
若い頃の話は、地域共同体・・・村の寄合の話です。

地域共同体においての決め事は全て「寄合」にて決めるのが日本の流儀。
そして寄合は全員出席して、合議の上で決めるのが流儀。

・・・・まあ、以下のような話になる。
「本当に全員、出席するのですか?」
「うんだ、休むものは居ない・・・というより、ありえない」
「全員というのは家族も含めて全員?」
「そうです、まあ病人とかは別ですけど・」
「すると、村の家は皆、留守にならないですか」
「そうです。昔は村に悪いこと人間は居ないというのが前提」
「そうすると何か犯罪があれば、出席しなかった人間が疑われるのでは」
「そういう疑いを掛けられないように、全員が出席するんです」

こうした、日本古来の直接民主主義が戦後は「日本の因習」として非難され、
自由の個人主義を求めて都市へ人口が集中したのです。
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村で取り決めを行なう場合には、みんなの納得のいくまで何日でも話し合う。
はじめに一同があつまって区長からの話を聞くと、
それぞれの地域組でいろいろに話し合って区長のところへその結論を持っていく。
もし折り合いがつかねば自分のグループへ戻ってはなしあう。
用事のあるものは家へ帰ることもある。
ただ区長・総代はきき役・まとめ役としてそこにいなければならない。
とにかくこうして二日も協議がつづけられている。
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宮本常一著 「忘れられた日本人」より
  1. 祖国
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