1960年代末から1970年代初頭に放映されていた「奥様は魔女」
奥様の名前はサマンサ。
旦那様の名前は不明なれどダーリンと呼ばれていた。
このダーリンの職業は広告代理店勤務である。
時々、ダーリンの会社の社長も登場したが、小さな事務所程度の会社である。
米国の広告代理店、市場調査会社、コンサルタント会社は多数の小規模な会社の集合である。
中には大きいのもあるが、それは例外。
前の前の前のエントリーで公正取引委員会の調査を紹介したが、この調査に米国の広告取引についての記述がある。
最初に広告代理店はだ誰の代理店なのか?
・スポンサーの代理店
・媒体(テレビや新聞)の代理店
この2つが考えられる。
米国の広告業界は初期に、上記の2つの代理店が競争したが、結局、スポンサーの代理店が勝利した。
スポンサーは競争相手の企業の代理店をしている会社に依頼はしない。情報が筒抜けになるからだ。
その結果、一業種一社制の原則が形成された。
自動車業界でトヨタと契約すれば、日産とは契約できない。
家電で東芝と契約すれば、パナソニックと契約できない。
このような形態では、多くの広告代理店が必要となる。
以下、公取調査より引用。
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・ 一業種一社制の形成
広告主の競合他社に対する秘密漏洩を懸念する強い意向を反映して広告会社は取引先広告主の競合他社の広告を取り扱わないという原則(一業種一社制)が形成された。
1980 年代になると,大手広告会社の買収・合併が盛んになり,これにより、媒体枠売買と広告制作等を統合化(バンドリング)し、日本の大手広告会社のようにフルサービスを提供するメガ・エージェンシーが現れた。
しかし、メガ・エージェンシーは一業種一社制を維持できなかったことから、多くの広告主は競合他社に対する秘密漏洩を懸念して他の広告会社へと移動したともいわれている。
1980 年代末から1990 年代初旬にかけて
〇媒体計画を担当するメディア・プランニング・エージェンシー
〇広告制作を行うクリエイティブ・メディア・エージェンシー
〇媒体社から枠を購入しそれを広告主に販売するメディア・バイイング・エージェンシー
など特化した業務を行う中小規模の広告会社が現れた。
こうした中小規模の広告会社の成長を背景にメガ・エージェンシーは媒体枠売買と広告制作等を別会社に分離・専門化(アンバンドリング)させる動きが起こった。
一方、広告会社に対する報酬についても1980 年代末以降、広告主からの値引き要求が強まり、コミッション制からフィー制に報酬制度の見直しが進み、さらに成果によって報酬率が変動するギャランティー制等、様々な報酬制度が考案・実践された。
広告主は、広告会社に対して1970 年代にはオイルショックの影響から高い広告効果を求めるようになり、さらに1990 年代には不景気の影響により広告主が株主等から説明責任を求められるようになったことから、より短期的、かつ具体的な広告効果を求めるようになった。
また、データベースマーケティング によって広告主自身が広告効果を広告会社を通さずに直接知ることができるようになるなどのメディア環境の変化もあった。
こうしたことから、広告会社においても広告主に対して広告活動のプロセスやその効果測定結果を的確に伝えるようになり、最近では媒体社からの請求書等のエビデンス(証拠書類)も開示するようになってきた。
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日本のシステムでは、企業の販促活動として重要な宣伝を寡占化された大手広告会社に丸投げするしかない。
米国のシステムではスポンサーが主体的に市場調査を行い、効果を計測して、最適な宣伝戦略を立案・推進できる。
そういうことである。