2010-03-31 12:00

鞄持ちの一生

昨晩は、某社の社長の「鞄持ち」氏と、都内某所で飲む。

 

鞄持ちというのは、不思議な存在である。

総務部秘書課の課員が鞄持ちになるとは限らない。

 

おそらく、それでは勤まらない。

社長の後ろに控えて、あらゆる面でサポートしなければならないからだ。

 

そこで、販売第一線の最もシビアな部署を仕切る部長が鞄持ちを仰せつかまる場合が多い。

一番最新の生の情報を持っている者こそ、鞄持ちに相応しい。

 

とはいえ、自分の担当部署で采配を振るいながら、

一方で社長のサポートである。

 

清廉潔白にして質実剛健でなければ勤まらない。

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2010-03-30 15:44

結局、やりたいことは外国へのバラマキだった

所得税の扶養控除は以下のように変更された。

でも、あまり報道されてないので、気付くのは年末調整の時期でしょうかね。

それが地方税に反映されるのは翌年です。

 

それまで、民主党が政治をやっていたら、あらゆる税金が値上げされていることでしょう。

 

・年少扶養控除:廃止(38万円が0円に)

(扶養親族の内、年齢が16歳未満)

・特定扶養控除のうち年齢16歳以上から19歳未満のもの) 扶養控除の減額(63万円を38万円に減額)

 

・18歳から22歳までは特定扶養控除:63万円

・23歳から69歳までの成人の扶養控除は38万円

 

扶養控除が38万円も廃止されると影響は大きいですよ。

所得税への影響も大きいが、地方税には、さらに大きく響く。

制度を改革すると、最初は僅かばかりのメリットがあり、これで小さく喜んでも、後から「ごつい税金、きよりますねん」で。

 

でも、唯一、儲かるだけの方々がおりますなあ。

子供手当てを貰う外国人ですわ。

 

 

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2010-03-30 01:53

Waves of the Danube

 

ワルツ王、ヨハン・シュトラウスが「美しき青きドナウ」を作曲していた時代に、ルーマニアの軍楽隊長であったイワノヴィッチは、この曲を作曲したのであった。

「ドナウ河のさざなみ」

どこか哀愁を帯びたワルツである。

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2010-03-29 15:44

夕霧そば 

やっぱり浪速は「ケツネ饂飩」なんですけど、

今晩は蕎麦にします。

 

お初天神の境内から出て・・・・・

このような路地を抜けると・・・・

 

このような蕎麦屋の看板がありまする。

 

 

浪速名物

夕霧そば

瓢亭

 

・・・と書いてある。

 

 

暖簾さんも、ご苦労さん。

 

中に入って食したのは「夕霧そば」

 

 

温と冷があるのです。

写真は温です。

どこが温か?

蕎麦が温かく、汁も暖かい。

 

蕎麦は白い。

そこに柚子が練りこまれている。

汁は卵入りです。

 

味は、それなりにイケます。

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2010-03-29 12:16

困った困った

大阪のコンサルタント先に行く。

 

調子はどうですか?

 

「困った困った・・・」と支店長。

 

何故に困った?

 

「三月の売上が予想に反して・・・」

 

予想に反して悪かった?

 

「予想に反して良かったのよねえ」

 

それは困った。

 

「そなの、期末なもので・・・」

 

数字が確定してしまう。

 

「昔なら、帳簿上で4月の売上に伸ばすのだが・・・」

 

今は、コンプライアンスが厳しいので出来ないね。

 

「本部の経理から、何故に売上を読み違えたかと叱られるのは必定。もう、来週、営業中止にしようかしら」

 

まあ、諦めて、その売上を抱えて来期も頑張ってください。

法人税も、ちゃんと納めてね。

 

「しかし、脱税王の鳩ぽっぽの政府に納めたくはなし」

 

困った困った。

 

「困った、困った」

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2010-03-29 09:20

夜の中の二人

 

桜の蕾がほころぶ春の夜

お初天神の境内で、2人は寄り添っておりました。

(右の方に見えるでしよ)

 

 

曽根崎心中のお初&徳兵衛のブロンズ像。

 

大坂内本町の醤油商平野屋の手代徳兵衛は、

北の新地の遊女天満屋お初と恋仲になる。

 

ところが、徳兵衛には、主人の妻の姪との祝言の話があり、それを断ると、お前の就職の時に継母に渡した持参金を返せ・・・と迫られる。

 

徳兵衛は母を説得して二貫目の金を取り戻すが、

これを油屋九平次に詐取されたうえ、証文偽造の罪を着せられ生玉の社で暴行を受ける。

 

死を決した徳兵衛はひそかに天満屋を訪れ、お初と愛を誓い合い、夜、更けてから手を取り合って店を逃れ、曽根崎の森で心中する。

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2010-03-28 21:23

夜のお初天神を歩く

 

露天神社、別名「お初天神」の入口である。

場所は、大阪梅田、北新地の入口に近い曽根崎である。

 

元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が梅田・曽根崎の露天神の森で心中した。

 

 

近松門左衛門はこの実話を元に「曽根崎心中」を書いた。

 

 

 

 

境内の入口、夜なのに訪れる人が多い。

恋に悩む女性が多く訪れる??? 

 

 

なお、北新地の入口近くに「女坂」なるものがあるそうだが、探せど場所が分からなかった。

 

この坂を登ると、もう帰って来れない坂だと言うが???

 

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2010-03-26 23:22

市場を見る目の衰弱

デフレの時代、大手の流通業者は、

時代錯誤のプライベートブランドを開発し、低価格路線を驀進した。

 

消費者は安い商品を求めているはずだ・・・という市場分析から導き出した戦略であるが、

しかし、その先に何の展望も無かった。

そして、この頃、少し変である。

 

店舗を観察すれば、分かるであろう。

商品アイテムが減っている。

売れる商品しか置いてない。

売れない商品は置かなくなった。

SKUを削減するつもりで、アイテムまで削減している。

 

その結果、無駄は減ったであろう。

中間決算の数字は改善したであろう。

でも、同時に客足が遠のいている。

そして売れる商品も、売れなくなっている。

店員も暇そうである。

 

大手が強いとは限らない。

大男は総身に知恵が廻りかねる。

重要なのは市場を見る目である。

それが狂っていなければ、小規模経営でも、いつも超満員なのである。

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2010-03-25 13:57

議員会館からの電話

昨日、私の耳元に衆議院議員宿舎より電話があった。

でも、中井蛤氏ではなかったが、与党の代議士であった。

 

何故、耳元で電話が鳴ったかというと、そこに携帯電話が置いてあったからである。

 

その携帯も持ち主は、私ではなかった。

携帯の持ち主は、電話にでると、

「先生、今日は12時過ぎになります」と言う。

「遅い、何とかならんのか?」の声が聞こえる。

「いつもタイミング悪くてすいません、12時過ぎるのです」

「いや、もう寝るから良い」

「すいません、またお願いします」

 

相手は中井「蛤御門の変」氏ではない。

断じてないのである。

 

なぜなら、携帯電話の主は男であるからだ。

銀座ホステスではない。

湯島でもない。

スタイルの良すぎる掃除のオバサンでもない。

 

「議員宿舎かい?」と私が聞く。

「はあ、そうでおます」

「良く行くのか?」

「ええ、昔、高輪にあった時から、お邪魔しています」

「まあ、商売なので、いろんな場所に行くわなあ」

「地味で、目立たない職業ですけどね・・・」

「オジサンは見た・・の世界だねえ」

「そうですね。昔は按摩と言いましてね。目が見えない方がやっていましたが・・・。私、按摩という言葉が好きなのです。撫ぜて摩る・・・素晴らしいじゃないですか。マッサージなんて言葉は使いたくないです」

 

とにかく「蛤御門の変」ではないのである。

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参考までに・・・・

 

禁門の変は、1864年に京都で起きた事件。

蛤御門の変とも呼ばれる。

 

「禁門」とは「禁裏の御門」の漢名である。

蛤御門の名前の由来は、天明の大火(1788年)の際、

それまで閉じられていた門が初めて開放されたので、

焼けて口を開ける蛤に例えられた為である。

 

蛤御門は現在の京都御苑の西側に位置し、天明の大火以前は新在家御門と呼ばれていた。

禁門の変が蛤御門の変とも呼ばれるのは、蛤御門付近が激戦区であった為である。

その為今も門の梁には弾痕が残る。


尊皇攘夷論を掲げて京都での政局に関わっていた長州藩は、1863年(文久3年)に会津藩と薩摩藩が協力した八月十八日の政変で京都を追放されていた。

 

藩主の毛利敬親と子の毛利定広は国許へ謹慎を命じられて政治主導権を失っており、京や大坂に密かに潜伏した数名の長州尊攘派はにわかに行動を続けていた。

 

1864年(元治元年)に入ると、孝明天皇を再び長州陣営のものとする為、京都に乗り込もうとする積極策が長州で論じられた(この時の積極的に上洛を説いたのが、来島又兵衛、久坂玄瑞。反対、慎重派が桂小五郎と高杉晋作)。

 

6月5日の池田屋事件で新選組に藩士を殺された変報が長州にもたらされると、慎重派の周布政之助、高杉晋作や宍戸左馬之助らは藩論の沈静化に努めるが、福原越後や益田右衛門介、国司信濃の三家老等の積極派は、「藩主の冤罪を帝に訴える」などと称して挙兵し、益田、久坂玄瑞らは山崎天王山、宝山に、国司、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構える。

 

この不穏な動きを察知して、薩摩藩士吉井幸輔友実、土佐藩士乾市郎平正厚、久留米藩士大塚敬介らは議して、長州兵の入京を阻止せんとの連署の意見書を、同7月17日朝廷に建白した。

 

朝廷内部では長州勢の駆逐を求める強硬派と宥和派が対立し、禁裏御守衛総督を勤める一橋慶喜(徳川慶喜)は退兵を呼びかけるが、京都蛤御門(京都市上京区)付近で長州藩兵が、会津・桑名藩兵と衝突した。

 

一時長州勢は筑前藩が守る中立売門を突破して禁裏(京都御所内)に侵入するも、乾門を守る薩摩藩兵が援軍に駆けつけると形勢が逆転して敗退した。

 

尊皇攘夷を唱える長州勢は壊滅、禁裏内で来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎らは戦死した。

当時、京都守護職であった会津藩主・松平容保は、これにより長州の尊攘急進派を弾圧する体制を整えることになる。

禁門の変に於いて長州藩兵が内裏や禁裏に向けて発砲した事等を理由に幕府は長州藩を朝敵として、第一次長州征伐を行う。

 

戦闘の後、落ち延びる長州勢は長州藩屋敷に火を放ち逃走、会津勢も長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃した。

この二箇所から上がった火で京都市街は「どんどん焼け」と呼ばれる大火に見舞われ、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失した。

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2010-03-24 20:18

夏は過ぎゆく

ヴィバルディの「四季」より夏。

 

照りつける太陽の絶え間ない暑さで

人と家畜の群れはぐったりしている。

松の木は枯れた。

カッコウの声が聞こえる。

キジバトとスズメの囀りが聞える。

 

柔らかい風が空でかき回される。

しかし、荒れた北風がそれらを突然脇へ追い払う。

夏の嵐の予感。その恐怖と戦慄。

やがて、それは現実のものとなる。

  

 

 

原譜には「暑さで疲れたように弾く」と指示がある。

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