2009-04-30 10:02

初の「月次報告書」

簿記勉強中のため、当社が会計データを出すのが遅れたが、会計事務所より最初の月次報告が上がってきた。

2009年の2月、3月分である。

設立後、まもない期間であるため売上の回収が少なく、設立準備及び設立後の経費負担が大きい。しっかり、▲印の付いた赤字スタートである。

 

4月は売掛金の回収があったので、月次報告がどうなるかが楽しみである。

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2009-04-28 00:08

チャオプラヤー河クルーズ

私が中学の時、インドシナの3大河川はメコン河、メナム河、イラワジ河と習った。

ベトナム、タイ、ビルマ(現在はミャンマー)を代表する大河だ。 


タイの地図を見ると、もはやメナム河は無い。

かわりにチャオプラヤー河と書いてある。

イラワジ河もエーヤーワディ河となった。

 

アユタヤ王朝の時代、チャオプラヤー河は遠洋航海用のジャンクが運航できるよう土木工事が行われた。

 

アユタヤはバンコクの北方75km。

高速道路も出来たので、車で1時間程度で行くことが出来る。しかし、港町アユタヤを理解するには、チャオプラヤー河を遡っていくのが最良だろう。

 

アユタヤへのクルーズはオリエンタルホテルなど数社が企画している。ホテル主催のツアーはホテルの専用桟橋から、旅行業者が主催のツアーはバンコクのリバーシティから乗船し、アユタヤまで約4時間、豪華クルーザーでのんびりと船旅が楽しめる。

 

船はバンコク市内をゆっくりと北上する。写真のようなタイの屋形船も様々なタイプが運航されている。

 

 

排気ガスで眩暈のする灼熱のバンコク市内を抜けると、空気もよくなり快適。日光浴大好きの欧州人の旅行者グループと一緒に船首のベンチに腰掛けて、なにも考えない、超贅沢な時間を過ごすことが出来た。

途中でティータイムと昼食を楽しむ。

昼食は旅行者向けの味付けで「劇辛」はなし。グリーンカレーに、まさかの「蟹かまぼこ」が入っていた。

 

豊かな水を蓄えて、とうとうと流れる大河には、様々な船が浮かぶ。船だけではない。川にぷかぷか浮かびホテイアオイもゆっくり下流に流れていく。 
 

 

 

 河の水はこんな茶色に見える。

 

 

上流から昔、金魚屋で売っていた「ホテイアオイ」が次々に流れてくる。

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2009-04-26 10:22

ワット・マハタート

13世紀のこの地域の歴史を調べてみると、大国に侵略があり、隣国との血みどろ戦乱が何回となく繰り返されている。

 

商売でも「隣の土地は借金してでも買え」といわれる。

隣の土地は、それほど価値があるものなのだ。

そのため隣国とは戦争が避けられない。

隣国は油断すれば攻めてくるものであり、空きがあれば攻めていくものでもある。

 

13世紀には日本に元寇があった。

同様に、この地域も元の侵略を受けている。

ベトナムは3回の元寇を受けて、3回ともゲリラ戦で撃退している。インドネシアには、最初は元軍と結び政敵を倒し、利用価値がなくなったら元軍を攻めて壊滅させた知将がいる。

一方、カンボジアアンコール王朝は、戦わず恭順の使者を中国に派遣した。

この歴史を振り返ると、20世紀のベトナム戦争毛沢東を信奉したカンボジアのクメール・ルージュの大虐殺も、予想できたかもしれない。歴史は繰り返すのである

 

 

アユタヤのワット・マハタート(スコタイにも同名の寺院がある)の建立は1374年である。

アユタヤ朝初期の寺院で、隣国のクメール様式の影響を受けた壮麗な規模の大伽藍であったという。

位置は王宮の東側に当たる。

現在では、まさに瓦礫の山、廃墟と言う雰囲気である。

 

 

1767年のアユタヤ陥落の時、ビルマ軍により徹底的に破壊されており、境内の仏像は顔や手を切られている。

 

胴体から切り離された仏像の頭が、あちこちに置かれている。

盗掘の被害も多いようで、塔に貼りつけられていたレリーフもはがされて売られてしまったようだ。ところどころにかろうじて残っているのみ。

 

 

 


寺院の規模はそうとう大きなものだ。

塔の上にも登れるのが、かなりぼろぼろで危ない。

いつか、観光客が落ちて怪我をすれば、バンコクの暁の寺と同じように上るのは禁止されるだろう。
40度近くの灼熱の中、ふらふらになりながら塔の頂上に上る。

上から見ると、破壊された遺跡が見渡せ、その規模が良く分かる。

 

 
 

貿易により栄えた富と財宝。そして労働力としての捕虜の獲得のためアユタヤは何度も隣国からの侵入を受けた。

1569年の陥落では数千人が連れ去られ、1767年の滅亡時は約1万人の捕虜が北方の隣国へと連行された。 

 

<クルマにカメラを忘れたため、このエントリーの写真はネットからの借り物です>

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2009-04-25 20:17

ワット・プラ・スリ・サンペット<補遺>

ワット・プラスリ・サンペットの画像をネットで検索してみた。三基の仏塔が写っている写真。

私も、できるだけ後退してカメラに収めようとしたが、無理であった。この写真も手前が消えている。後退すると観光客の頭が入ってしまうのです。

 

寺院の境内を歩く。この写真、雰囲気が良く出ている。
破壊の後が生々しい境内を歩く。

 

 

タイ人の観光客が大型バスで押しかけるプラ・モンコル・ボピット。

 

 

広い駐車場には、観光バスが何台も停まっていた。

中には黄金の大仏。

 

 

 奈良の大仏が高さ15メートル、鎌倉の大仏が11メートル。これよりも大きい17メートルである。タイでも最大の大仏である。 

タイでは通常、仏像は金箔が貼られる。この仏像も黄金に輝いている。

 

<このエントリーの写真は借り物です>

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2009-04-25 17:59

ワット・プラスリ・サンペット Wat Phra Sri Sanphet

アユタヤの中心部の王宮がある。

その王宮に併設されたアユタヤ最大規模の寺院がワット・プラスリ・サンペットで1491年に建立された。
 

 

 

この巨大な寺院は、近くの王宮と共にビルマ軍により徹底的に破壊された。
境内には3基の仏塔が残っているが、あまりに大きくてカメラに収まらない。

広角レンズを持ってこなかったのが失敗である。

 

 

三基の仏塔を標準レンジに収めるのは不可能であった。 
写真に写っているのは2基(手前が中央)である。

 

 

 

写真で見るように広大な廃墟のような境内は人影も少ない。境内で遺跡を見ているのは外国人観光客ばかりである。

 

 タイ人の観光客は、過去の栄光の廃墟より、すぐ隣の新しい寺院に向かう。

それは、プラ・モンコル・ボピット。

1956年に再建された豪華な寺院である。

この新寺院には、ワット・プラスリ・サンペットの境内に置かれていた、大仏が移され安置されている。これは1500年に建立された高さ17メートルの大仏で、1767年のビルマ軍侵攻後も廃墟の中に残されていた。
 

寺院の中には昔の写真があり、廃墟の中に高さ17メートルの仏像が安置されていた様子がわかる。

観光客にとっては「このほうが良かったのでは」と思うのが、仏像は地元の人たちの信仰を集めており、ここでも全身に金箔が張られていた。

 

新しい寺院の周りはみやげ物屋がたくさん出ていた。

そこで10バーツでアイスクリームを買って食べたが、牛皮を入れてくれるし、シロップを掛けるし、強烈に甘かったが、暑さで疲れた体には調度、良かった。

 

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2009-04-24 22:58

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの黄金の仏像

 黄金の仏像を納めた祠には、多くの人が集まっていました。

ここで、地元の人と一緒におまいりをしました。
入り口でお線香と、蝋燭と、蓮の花一輪と、小さな紙の束を購入しました。

 

お線香と蝋燭は日本と同じです。

蓮の花は淡いピンクで、何とも美しいものです。

手に持ってみて重量感があり、思わず見とれてしまいます。

 そして最後に渡された「紙」はなんだか分からなかったのですが、あけると中に金箔が入っており、自分で仏像に金箔を貼るのです。


タイの人達は金箔が大好きなのでしょうか。

信仰を集めている仏像は全て金箔に覆われています。

 

なお、塔も金箔が張られるのが普通です。72メートルの塔が黄金に輝いていたら、実に綺麗(日本人には超ハデに見えますが)だったでしょう。

 

 

 

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2009-04-23 22:36

ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃仏

  涅槃仏は釈迦が涅槃に入った姿をあらわす。 右脇を下にし両足を上下に重ねて眠る姿であらわされる。インド中国には巨大な涅槃像がある。

 バンコクのワット・ポーの涅槃仏は有名だが、それ以外にもあちこちで見ることが出来る。

 日本にも法隆寺などに涅槃仏があるようだが、巨大なものは無い。

 

 釈迦は80歳を迎えた時に、死を意識し、故郷に帰る途中で入滅する。沙羅双樹の間に北枕に床を敷いて、禅定に入ったまま入滅するのである。

 お父さんが寝ながらテレビを見ている姿を、決して想像しては、いけないのである。

 

 

この涅槃仏は建物の中に安置されていた。

建物は破壊され、壁の一部が残っている。

 

下の写真のように、壁の一部のみが残っている建物も多数ある。

 

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2009-04-22 22:36

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

あまりに完膚なきまでに破壊された寺院の中にあっても、比較的、原型を保っているのがワット・ヤイ・チャイ・モンコンである。

小規模であり、緑と花に囲まれ、地元の人達に信仰を集める哀しいまでに美しい寺院である。

市の南東、中心部から外れた位置にある。

 

 

建立は初代のラーマボディ1世。建国6年目の1357年だ。

高さ72メートルを誇る塔はナレースエン王がビルマからアユタヤを取り戻した記念に立てられたもの。

塔の周りに多くの仏像が安置されているが、あまり破壊されていない。

大きな仏像も、小さな仏像もそれぞれ、お顔が微妙に違っているが、微笑みのある、なんとも、優しいお顔なのである。

他の寺院の仏像は、殆どが首を切られているのと比べても、ここは奇跡的に残されたというべきだろう。

 

 

       

 

 

 

 

 

72メートルの塔はかなり上まで登れる。

そこから周囲が一望に見えるのがすばらしい。

涅槃仏もある。収められていた建物が壊され、その壁が周囲に残っているあたり、ビルマとの戦いがなまなましく感じられる。

 
仏像は全てお供え物があり、地元の人たちの信仰を集めている。

黄金の仏像を納めた祠には、多くの人が集まっていた。

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2009-04-20 21:46

アユタヤへの旅

バンコクの北に位置する古都アユタヤ。

チャオプラヤー河とその支流であるロッブリー川、パーサック川、それを縦横に結ぶ運河の囲まれた水上都市である。
かつてチャオプラヤー河を遡り貿易船がこの町の岸壁に着いた。
内陸にはあるが大洋に開かれた町なのだ。

 

 

 

アユタヤの建国は1351年といわれる。
1400年代にはマラカを攻撃したり、カンボジアのアンコールに侵攻した。

1509年にはポルトガルがアユタヤに使節を送ってきた。1516年にアユタヤはポルトガルと条約を結び通商の権利を与え、カトリックの布教も承認した。
17世紀以降、アヤタヤは東南アジアにおける最大の貿易基地となった。
アユタヤの南方には外国人の居住地が展開し、自治も許された。山田長政の活躍で知られる日本人町もその中にあった。

 

 

貿易で栄えたこの港市も、防衛と言う面では問題があったようだ。
平野の真ん中にあり、攻められたら逃げるところが無い。

アユタヤは何度となく隣国ビルマに攻められ1767年には滅亡する。ビルマの遠征軍は14か月にわたり市街を包囲し兵糧責めにした。陥落後は、市街は徹底的に破壊され、生き残った住民、約1万人は捕虜としてビルマに連れ去られたと言う。      

 

 

 

 

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
 

 

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2009-04-19 23:31

インドシナ半島思索行(1)序文(修正版)

インドシナ。

インドとシナに挟まれた大きな半島と、それに続く2万余の島々。

この地域は日本の12倍強に当たる450万平方kmの面積を持ち、タイ、カンボジアベトナム、ラオス、ビルマ、フィリピンインドネシア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、東チモールの11か国が存在する。

 

 

祖父や父の影響と思うが、私は子供の頃からインドシナ半島やマレー、インドネシアの島々を旅したいと思って来たが、最近になって仕事の合間に、時々、出かけることが出来るようになった。

 

インドシナ諸国の面積はインドより大きく、中国の半分弱である。

 

 

インドシナ諸国の中では、インドネシアが190万平方キロと圧倒的に広い。続いてミャンマー、タイである。

その他の国は、日本より狭い。

 

 

人口は5億6300万人。

中国の13億、インドの11億に比べると半分以下であるが、日本の5倍弱である。

 

 

インドシナ諸国の中では、インドネシアが2億人。続いてベトナムフィリピン、タイ、ミャンマーの順である。

日本は1億2700万人で、インドネシアより少ないがベトナムより多い。

 

 

 

 

 古都アユタヤにて・・・ 

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