2008-06-29 15:04

昆明湖の風景

「眠れる獅子」と恐れられた「清」。
1636年に満州において建国され、1644年から1912年まで250年間にわたり中国を支配した。首都は最初は瀋陽であったが、明の滅亡後は北京に移る。

清の太祖は、満州に住む女真族を統一して、明から独立。
その子の太宗は、万里の長城以北の明の領土を征服。内モンゴルも支配下に置く。
1936年に、モンゴルのチンギス・カンの子孫から元の玉璽を譲られ、清の皇帝として即位した。
すなわち、清は元の後継者として、中国を支配しようと考えたのである。それゆえ、プロレスラーのキラー・カーンが、辮髪スタイルでモンゴリアン・チョップを放っても、矛盾はないのである。

1944年に、清軍は万里の長城を越えて北京に入り、ここを首都とする。しかし、南方では明の残党が南明を興したため、清は遠征軍を送った。明の軍人の鄭成功は、南京を経由し台湾に渡り抵抗した。

こうして清王朝の六代目、乾隆帝の時代に、清の勢力は最大となる。頤和園は、その絶頂期に作られた皇帝の夏の別荘である。

頤和園の70%を占める昆明湖は広すぎて写真にならない。水しか写らないからだ。
それでも、なんとか工夫して、手前の樹木等を入れて撮影してみた。



17孔橋。
昆明湖の東岸と南湖島とを結ぶ橋。乾隆年間の建造で橋の長さは150m。



アーチを描く石橋。



万寿山の頂上、園のシンボルである仏香閣を望む。



知春亭の屋根の飾り


フリードリッヒ風の樹木と仏香閣。

スポンサーサイト
  1. 中国
  2. TB(0)
  3. CM(0)

2008-06-29 00:31

至福の時 Sir Lawrence Alma-Tadema

久々にサー・ローレンス アルマ-タディマの絵を紹介。

ローレンス・アルマ=タデマ(1836年- 1912年)はイギリス、ビクトリア朝時代の画家。
古代ローマ、古代ギリシア、エジプトなどの歴史をテーマにした写実的な絵を数多く残した。.



  1. 絵画
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2008-06-28 10:57

五輪前の風景



我参与と書かれている。
携帯電話を操作する若い娘。自転車の乗った老女。そして、2人連れの若者。

遠くから見ると・・・・・


我奉献と書かれている。北京の玉府井にて撮影。

  1. 中国
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2008-06-27 00:34

頤和園 夏の宮殿

ロシアの夏の宮殿はエカテリーナ宮殿である。
タイ、アユタヤ王朝の夏の宮殿はバーン・パイン宮殿である。
日本の皇室の夏の宮殿は、那須御用邸、須崎御用邸である。
欧州の諸王国にも、様々なサマーパレスがある。

そして、清国の夏の宮殿は頤和園(いわえん)である。
北京市内の北西約25kmと近いため、北京に出張したビジネスマンは必ずや連れていかれる場所である。

そして、園内はく途方も無く広いため、ほんの一部だけを見て、ちょっと歩いて帰ることになる・・・そうした場所である。

頤和園(旧名・清蔬園)は、清王朝の六代目、乾隆帝により創建された。
乾隆帝の時代は、清の勢力の絶頂期であり、帝自ら10回も遠征を行い領土を拡大している。
一方で、風流人でもあった乾隆帝が自らデザインして造らせたのが、清蔬園で、1750年に着工、15年の歳月を経て1764年に完成している。

総面積290ヘクタール、その大部分を人造湖の昆明湖が占め、
昆明湖を掘った時に出た土砂を積み上げた万寿山。
そして、各種宮殿エリアの3部分から構成されている。

日本庭園の築山も土砂を積み上げた人造の山であるが、万寿山は高さ60メートル弱ある。築山と言っても規模が違うのである。


昆明湖はもともと、北京の西北郊外を流れる泉水を引いた天然湖で、乾隆帝が清蔬園を建造したとき、現在の規模へと拡大された。園の総面積の4分の3を占め、220ヘクタールに達する。
湖上には東堤、西堤、南湖島、十七孔橋などの美しい景観がある。

万寿山の頂上には園のシンボルである仏香閣があり、ここに登ると園内の全てを見ることが出来る。
仏香閣の東側には、チベット仏教の経典を収めた「轉輪蔵」がある。
清は漢民族の王朝ではない。北方の満州族が万里の長城を破り侵入した征服王朝である。
そのため、西域の諸民族と戦争もしたが、一方で講和もし、漢民族を抑制したのである。
 
万寿山の北側には、細長い后
湖がある。
この両岸には、水際に多くの商店が建ち並んでいるが、それは乾隆帝が蘇州の風景を模して設計したものである。
南方の蘇州を旅して、余程、その風景が気に入ったらしいのである。この商店は、アトラクションであり、ここで金銭の授受を伴う商売が行われたことはない。
ただ、乾隆帝が蘇州の思い出に浸る時に、商人と客に扮した宦官達が、あたかも実際に商売が行われているように演じるのである。

この清蔬園は、1860年、中国を侵略した英仏連合軍により、ほとんど焼き払われてしまった。
その後、西大后が、この風景を好んだため再建が進められた。名称も頤和園と変更された。

とはいえ、西大后の時代に清の勢力は劣えており、再建する予算が足りない。
それでも臣下達は、なんとか西大后のご機嫌を取ろうと、禁断の予算に手を付けてしまう。
1886年には
西太后の60歳の誕生を祝うため、清国海軍の経費(白銀)が再建費用に流用されたのである。
これが、日清戦争敗戦の要因の一つとされているようである。

頤和園を案内してくれる中国人は・・・
「日本では天皇・皇族が生活を切り詰めて戦争の準備をしているのに、誕生祝に大事な軍隊の経費を流用するとは・・・・。戦争に負けるのがあたり前だ」と嘆くことになっている。

なお、万寿山の南麓、昆明湖の北岸に、東西に走る長さ728メートルの長廊がある。
長廊は合わせて273間あり、内部の梁には「蘇州式彩色画」が八千幅も描かれている。

多くの観光客は、この長廊を歩き、万寿山上の仏香閣を見て、帰路に着くのが通常である。

以下は、私が撮影した長廊の動画である。曲は、マーラーの「大地の歌」。ちょっと短い。

">

これだけでは短いので、スライドショー付きバージョンも作ってみた。写真は、ネットから集めたもの等である。

">

 

  1. 中国
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2008-06-26 01:16

上海・南京路を彷徨う

南京路は、東は外灘から始まり、西は静安寺公園まで約5kmの上海のメイン・ストリート。

なぜ、上海なのに「南京」なのか?

1842年、アヘン戦争に敗れた清は、南京でイギリスとの間に「南京条約」を締結する。
広州・福州・厦門・寧波・上海の開港、香港の割譲、賠償金の支払いなどが内容だ。

上海開港を決めた「南京条約」により、上海租界が出来て、外国人相手の商売をする商店街が出来た。
そこで、この通りを南京路と呼ぶようになったのだ。












  1. 中国
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2008-06-25 02:55

上海の夜を彷徨う(補筆)

リクエストもあり、過去に当プログで発表した上海の写真と未発表の写真を組み合わせて、スライドショーにしてみました。

曲は、「ヘレン・メリル ウィズ クリフォード・ブラウン」より「イエスタディズ」です。
ブラウニーのトランペットから始まり、ヘレンのハスキー・ボイスが、いい感じでバラードを歌い上げます。



写真は、「黄浦公園の夕暮れ」
http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/494785/

豫園(未発表)

「新天地」
http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/497976/

「和平飯店」「外灘」

http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/489034/

南京路(未発表)


">


高層ビルの立ち並ぶ昼間の上海は、確かに昔と変わったものの、夜の上海は変わらない。
変わらない部分の写真だけを集めた、今回の写真集でした。
------------------------------------------------------------------------
昨日、今回の動画をアップしたら、
「あなたの動画に対して、YouTube パートナーから著作権の申し立てがありました」
とメールが来ました。
写真は私の撮影ですが、音楽は、ヘレンさんとブラウニーさんから無断借用・・・・どうしよう・・・と焦ったのですが、
著作権を持つUMG(ユニバーサル・ミュージック・グループ)は、「このコンテンツの YouTube での掲載を許可する」と寛大な措置。でも、条件があり「この動画の再生ページに広告を表示します」とのことです。

YouTube コンテンツ特定プログラムによりUMGがこのコンテンツに対する申し立てを行ったとのことです。

  1. 中国
  2. TB(0)
  3. CM(4)

2008-06-22 18:32

午後8時に「まだ開店前だ」と言われたスペインのレストラン

バルセロナで、夕食を食べにレストランに。
「夕方はレストランの開店が遅いので注意してね」とは言われた。
それで、ちょっと遅めの夕食をと、午後8時にレストランに入るが、「まだ、開店前だよ」と言われてしまう。
確かに店の中には誰も居ない。
テーブル・クロスもセットされていない。
その後、9時に再訪すれど、「もう、ちょっと待て」とのこと。
「空腹で死にそうなので、店内で待たせてくれ」と頼みこむ。
店主、ようやくテーブル・クロスの準備を始める。

バルセロナに来たのだからと、パエリアを注文する。
「時間掛かるよ」と言われ、出来るまで飲むことにする。
結局、食事にありつけたのは10時。
そのころになると、ようやく客も増えてきた。

こんな時間に食べて、寝ると太るのではないか?と聞くと、
「食事をしてから、遊びに行くので大丈夫」とのことだ。
確かに太っている人は少ない。米国人のほうが余程、太っている。
食後に遊びに行くと、寝るのは朝方かも知れない。昼寝が必要なわけである。



バルセロナのレストラン。細い通りとバルコニーのある建物の感じが実に良い。
--------------------------------------------------------------------------
スペインの食事は、主食3回。間食2回の計5回である。
食事をしながら話をするので、
人生の時間の多くを食事と議論に費やしている。


朝食:Desayuno
濃い珈琲にミルクをたっぷり入れたCafé con leche(カフェ・コン・レチェ)とパン。

午前の間食・Once

11時頃の出てくる間食。
メインの昼食が午後1時過ぎなので、それまでの繋ぎとして必要。
午前中の労働時間が1時までのケースが多いので、11時に間食をして持たせる。お茶とビスケット、あるいはサンドウィッチ。

昼食・
Comida
 
メインの食事。1時に午前中の仕事を終えて、2時前から約2時間かけてフルコースを味わう。
前菜から始まり、メイン、デザートまで。もちろんワインやカバも楽しむ。
その後、昼寝をしてから会社に戻り2時間程度働く。
午前中に5時間、午後2時間が労働時間。
サマータイムは午前中集中労働で会社に戻らず、散歩に出かける。

間食・
Merienda
夕食が午後9時と遅いので、繋ぎに間食。
会社が終わった午後6時過ぎ、カフェや大衆酒場で間食。


夕食・Cena
 9時以降にレストランが開く。
自宅でスープチーズ、サラダ等で簡単に済ませるのが通常。




  1. 欧州
  2. TB(0)
  3. CM(2)

2008-06-22 00:00

無敵艦隊が負けてから(4)



フルコースは終盤に差し掛かった。
「あんた、飲み助だね」と言われながら、食後酒を味わう。
すると、食卓を囲む何人かのメンバーは、パイプを取り出し、煙草を詰め始める。
米国ではとても信じられない光景である。
それを指摘すると「彼らは食事の後の、この楽しみを知らないのさ」と話す。

私は煙草は吸わないが、場をわきまえた喫煙なら問題ないと思う。のべつ幕無し、あたり構わず・・では駄目だが、食後の一服程度なら問題は無かろう。
食事中は、美味しそうな食べ物の香りが楽しめなくなるので、誰も吸わない。

それで、中小企業の目指す方向は?
話題は次に移る。
「大きく成り過ぎないこと。市場にあわせた企業規模を守ること」
「品質=ブランドを守ること。長年の顧客は品質のダウンを決して見逃さない。信頼を失えば顧客は離れる」
「外国市場の開拓。世界の市場を見れば、売り込める隙間があるはず」
世界と言っても、彼らの進出先はスペイン語の言語圏が中心。
大西洋を「池」のように渡りラテン・アメリカで商売を展開している。
アメリカ諸国が主な市場だが、メキシコに工場を持ち、そこから北米市場にも参入している。

スペインという国は、15世紀の大航海時代に世界を席捲するほどの勢力を持ったが、1588年に無敵艦隊が英国征服に失敗してから、その後は衰退の一途である。

英国を征服しようとは、無謀と思えるが当時のスペインの国力はそれほど大きかったのである。
無敵艦隊は1000トン級の大型艦隊に、3万人の大軍を乗せて英国征服に向かう。
一方、英国も元海賊のドレーク提督が機動力に優れる小型船を駆使して反撃し、壊滅させてしまうのだ。スペイン側の死傷者数は2万人といわれる。

スペインは、その後、もう400年間も衰退を続けているが、国民は貧困に喘いでいるわけではない。全ての植民地を失い、イベリア半島の国土と、人口は4500万人である。
一人当たりの国民所得は350万円。でも物価が安いので可処分所得が多い。
サマータイム(半年間)は午前中しか働いてないが、これでも経済は持っている。
絵画、音楽、舞踏などを楽しもうと思えば実に安い。

成長期は目標に向い頑張る。追い付き、追い越せと焦る。
金は入るが余裕が無く使えない。
衰退期には過去の蓄えがある。
数々の失敗により得られた知恵を頼りに、豊に生きる余裕が生まれる。

衰退を恐れる必要は無いのである。
衰退期こそ豊かさの入口である。
ただ、衰退期を豊に生きるのは知恵と戦略が必要だ。
それは人生と同様である。

  1. 欧州
  2. TB(0)
  3. CM(0)

2008-06-20 01:33

無敵艦隊が負けてから(3)



2時間に及ぶランチの前菜。
最初に出て来た生ハムとオリーブで、私はご機嫌になっていた。
生ハムの塩加減が実に良い。
「おいおい、俺の好物、わかってるじゃないか」
「それにしても、あんた、美味しそうに食べるね」
言葉には出さないが、テーブルの上の空間には、こうした呟きが浮かんでいた。まさに阿吽の呼吸である。

私の問題提起は、ちょうど良い話題であったらしく、話はどんどん広がって行った。
「この客人、俺たちに刺激的な議論をふっかけて来るじゃないか」
こうした雰囲気である。

いくらフルコースとは言え、議論なくして2時間は持たない。
美味しい食事と、刺激的な議論・・・どちらもご馳走なのである。

当時、欧州の中小企業は、業種を問わず米国の大手が買収し、これに対抗して欧州の大手も、域内の目ぼしい中小企業を買収していた。
このテーブルを囲む業者は、お呼びのかからない業者と、わが道を行く独立志向の業者だけである。

「我々のライバルの多くは買収されてしまった。しかし、企業規模は大きくなったが内容は落ちた。開発力から販売力まで、見事に凋落した」
「これは一時的なもので、回復はあるのか?」
「回復はするだろうが、元には戻らないだろう。なぜなら、一番、大切なベテラン社員を捨てているから」
「ベテラン社員が部下の社員を育てているのに、それを退職させたら、従業員は素人集団と化すのは目に見えている」
「それから平気で顧客を放棄する。採算が合わないから止めるのは自分達の都合。顧客へのフォローが無い」
「長年のパートナーと突然、関係を切る。こうした商売は信用を失う」

株式を上場し、株主利益が求められるようになると、企業はなにがなんでも成長を強いられる。
マネジメントのプロと称する者が社外から来て、改革を進める。
年間4回決算して、それが全て良い成績でないと批判される。
ニューヨーク証券取引所の上場すれば、本社から子会社、孫会社まで連結決算対象企業は毎月決算の会計システムを導入する必要がある。
商売は良い時もあれば、悪い時もある。
上場企業は鎖に繋がれた巨人である。

日本には285万社の法人があるが、この中で資本金5億円以上は1万社を切る(9545社)。
さらに、この中で証券取引所に上場しているのは2000社程度である。
そして、日々のニュースに取り上げられるのは。この2000社の中のさらに一部である。
285万社から2000社を引いた残りは「その他大勢」として、マスコミからは存在しないかのように無視されている。
しかも、ビジネスを行っているのは法人だけではない。
法人285社のプラスし、青色申告・白色申告の個人営業が176万人(営業所得者)存在しているのである。

一寸の虫にも五分の魂。
やる気さえあれば上場大手と中小零細、チャンスはどちらにあるかは自明であろう。
巨大艦隊は弱いのである。

  1. 欧州
  2. TB(0)
  3. CM(0)

2008-06-17 15:21

無敵艦隊が負けてから(2)



ビジネスは出会いの連続だ。
商談、赴任の挨拶、引継ぎの挨拶、ヒアリング(実情視察)、不始末のお詫び・・・など様々な理由で、アポイントを取り、未知の人に合う。
そして、ベテランともなれば、初対面でも相手を一瞬にして見抜く。
波長が合うか、合わないか。
意気投合すれば、付き合いは仕事も会社も超えてしまう。

こうして、意気投合した業界の先輩が、以下のような話をしていた。
-----------------------------------------------------------------
日本の情報は、アングロ・サクソンとゲルマンに偏っているように思える。
我々がビジネスで付き合ったり、議論する相手もそうだ。
でも欧米=アングロ・サクソンではない。
欧州の半分はラテン諸国であり、彼らの世界に対する影響力は強い。
日本人は、もう少しラテン諸国と付き合うべきである。
彼らの世界観、ライフスタイル、価値感を知ることは勉強になる。

アングロ・サクソン、ラテン、それぞれの良い部分を参考にしながら、日本の目指す方向について考えるべきである。
-------------------------------------------------------------
私は、その話を聞いて、ラテンの文化に興味を持った。
そして、自分に合うとも思った。
スペインに付いて、タクシーに乗る。
運転席のラジオから流れる音楽は、実に良い。
「良い曲だね」と声を掛けると、喜んで歌手の名前を教えてくれる。

スペインに来るとカルチャー・ショックを受ける。
彼らは、ライフ・スタイルを世界にあわせて変えようとはしていない。
午前中の集中労働、2時間の昼食、その後の昼寝。
冬は、それが終わってから会社に戻る。
夏は夕方の散歩、広場での議論、午後9時過ぎの夕食。

ライフスタイルでは伝統を守りながら、世界ビジネスに、日本より遥かに積極的である。
従業員、わずか20名足らずの会社でも、国際部門があり、国際部長がいて、売上げは国内より海外が多い。
国内市場は成熟しており、伸びる余地がないのだから当然である・・・と彼らは考え、そのように行動する。
伝統と国際化は何ら矛盾しない。

私は、最初の問題提起を、中小企業の国際戦略と定めた。
そして、丁度、その頃に欧米で吹き荒れていた大手企業のM&A戦略に対比させた。

今、日本で流行しているM&Aは、ヘッジファンドの利ザヤ稼ぎのM&Aである。まさに、遅れてきたM&Aである。
1980年代に欧米で展開されたM&Aは、企業の生き残りを掛けた戦略的なM&Aであった。

しかし、その戦略なるものの内容は、実は空虚である。
株主利益を強く言い立てられ、短期間に成果を上げねばならない経営者が考える、最も容易な売上高増加方法・・・これがM&Aである。
年間500億円の売上アップを図ろうとすれば、販売促進に労力を掛けるよりも、年商500億円の企業を買収した方が早い。
多くの企業の経営者の中には、経営不振、先の展望もなく、営業権を売却して引退したい・・・・という人も多かった。
これは、従業員はべつにして、経営者側は互いの利益が一致するハッピーなM&Aである。

もう一つは赤字薄めのM&A。
膨大な赤字を抱え、このままでは倒産するので、企業規模を大きくして、赤字を薄める。
でも、このままでは、薄まっただけで回復できないので、不採算部門を閉鎖したり、売却する。
実際、多くのM&Aは後者のパターンで、断末魔の苦しみが続く。
その結果、優秀な人材は出し、企業のパワーは失われる。

こうした事が起きるのは、企業規模が大きいから、時代の変化に適合できないのではないか?
企業は大きいから有利というのは、嘘ではないか?

これが、私の問題提起であった。(続く)

  1. 欧州
  2. TB(0)
  3. CM(0)