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2008-05-31 19:35

吉田町の料亭にて



横浜・関内の吉田町界隈は、お洒落なレストランやバーが並ぶ。
ここに、浮世絵画家の子孫が経営する料亭がある。
食事を取りながら、女将よりお話を聞く。
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浮世絵師の家でしたから、子供の頃は浮世絵に囲まれてました。
吉田町で、浮世絵を販売する店を出していたのです。製造・販売ですね。
浮世絵の芸術的な価値が認められたのは最近のことで、
当時は学校に行く時、弁当箱を包むのに使ったり、茶碗を郵送するのに包んだり・・・、一応、これ、要らない?と聞いてからですけどね。

フランスの画家達が、日本の浮世絵に注目したのも、日本から送った荷物の緩衝材に使ったからでしょう。
新聞紙を丸めて詰めるのと同じですよ。

先祖に英国人と結婚した女性が居まして、私にも、ちょっと英国人の血が入ってるんですけどね。
結婚相手の実家がウインザー城の近くの大きな屋敷なんですが、そこに行くと浮世絵が揃ってます。
ここから持って帰ったものと、荷物を送る時に包んだものもあるでしょうが、おそらく日本に持って帰れば、素晴らしいコレクションですね。
英国人は、古いものを大切に保存しているのです。
浮世絵はまだ100年ちょっと前ですが、さらに200年前、300年前の絵画、調度品も大切に保存してました。
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安政6年の開港で、それまで海辺の一寒村でしかなかった横浜は、外国の人々や船が出入りする貿易都市に変貌した。
この港の風景は、多くの画家達の心を捉えたに違いない。
江戸にあった浮世絵板元は大勢の絵師たちを横浜に送り込み、横浜浮世絵と呼ばれる、多くの作品が描かれた。

http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/dm_index.html

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2008-05-31 00:55

海港之圖



海港之圖

港へ來た。マストのある風景と、浪を蹴つて走る蒸汽船と。

どこへもう! 外の行くところもありはしない。
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へ歸つて行かう。
さうして忘却の錨をとき、記憶のだんだんと消えさる港を訪ねて行かう。
            ――まどろすの歌――

萩原朔太郎「定本青猫」より
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「定本青猫」には数枚の木版画が収められている。
朔太郎は初版本にも、この木版画を入れたかったのだが、
書店が著者の意向を無視して、絵葉書を銅版画にしたのを入れたことに怒っていた。
そこで、定本を出さねばならなくなったのだ。
私が「定本青猫」を始めて手に取ったのは、中学生の頃である。
その時、この挿絵を見て、雷に打たれたような感動を覚えた。
郷愁。前世の消された記憶が、意識の底から浮かび上がるような衝撃。忘却の錨が解けて、記憶がだんだんと蘇ると不思議な懐かしさがこみ上げて来る。

港の光景は、人を魅了する。
ニューグランドホテルの宴会場の壁画も海港之圖であった。
鄙びた漁村でしかなかった横浜が、一夜にして国際貿易港に発展し、次々と新しい街路が作られ、発展していく。
その様子を多くの絵画や浮世絵が記録している。

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2008-05-30 08:21

横浜情報博物館 旧館二階の喫茶店の窓



窓のガラスに木々の緑が映り綺麗だったので一枚撮影。
この横浜情報博物館は、明治4年に横浜で初めて日刊新聞が発行された場所に立地している。
現在の建物は昭和4年竣工の旧「横浜商工奨励館」。
ここに日本新聞博物館や放送ライブラリーがある。

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2008-05-27 23:26

ホテル・ニューグランド

横浜在住の業界の大先輩に面会を申し込んだ時、
指定された待ち合わせ場所は、山下公園正面のホテル・ニューグランドであった。
このホテルは、横浜市民にとって特別のホテルである。
横浜開港以来、山下町界隈には、外人向けのホテルが数多くあった。その中にグランドホテルもあった。ところが関東大震災で、これらのホテルが全て倒壊してしまった。
震災からの復興で、都市の瓦礫を埋め立て山下公園が出来たが、外国人向けのホテルを、この地区に建設する必要があった。
そこで、当時の横浜市長が、「ホテル建設計画」を市議会に提出、可決を受けて、それは現実にスタートを切ることになる。
新ホテルの名称は横浜市民に公募された。
こうして昭和2年12月に「ホテルニューグランド」が山下公園の正面に開業した。
当時の流行であったアールヌーボーのデザインを取り入れた、お洒落なホテルであった。


1927年の創業。



ホテル旧館の正面入口。



戦争前にダグラス・マッカーサーは新婚旅行で日本を訪れ、このホテルに宿泊したという。
終戦後の昭和20年8月30日、厚木基地に降り立ったマッカーサーはすぐにニューグランドへ来て305号室に宿泊、3日間滞在後、次の居留地へ移ったとされている。

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2008-05-27 00:06

ホテル・ニューグランドのアップルパイ

山下公園に来ると、どうしてもホテル・ニューグランドのカフェでアップルパイが食べたくなる。
最初に、ここの喫茶室に入り食べてから、来るたびに食べたくなる。ホットアップルパイと紅茶の組み合わせが良いのだが、最近は「アップルパイ・アラモード」とアイスクリームと生クリーム添えとなり、珈琲の方が合うかも知れない。



ホテル・ニューグランドの外観


カフェから見える中庭

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2008-05-25 21:27

山下公園  五月の風の中で

横浜と言えば山下公園。
かつてフランス波止場と税関のあった場所らしいが、関東大震災の後に崩壊した都市の瓦礫を集めて海を埋め、こに公園が作られた。
公園の東側に氷川丸が永久停泊している。





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2008-05-25 11:30

横浜開港資料館

来年は横浜開港150周年とのことで、歴史的な建物の保存、整備やイベントが続いている。
米国のペリー提督が浦賀に来航したのは、嘉永6年( 1853)である。
翌年の安政元年(1854) 日米和親条約締結、さらに安政5年(1858)  日米修好通商条約により神奈川の開港決定する。
そして、安政6年( 1859)に 横浜が開港する。

1854年に日米和親条約が締結された場所が横浜開港資料館となっている。
旧館の建物は日本大通りに面しており、旧英国総領事館であった。


現在の横浜港は広大であるが、最初に開港したのは、開港記念館前の海で、東波止場と西波止場が建設された。
東波止場は現在の山下公園にあたりで、フランス波止場と言われ、税関が置かれた。一方、西波止場はエゲレス波止場といわれ、やがて、大桟橋に発展する。

最初に日米和親条約を締結したのにメリケン波止場がない。
メリケン波止場は淡谷のり子の唄の中だけなのか??  
・・・・と思ったら、メリケン波止場は神戸にありました。

         
横浜開港資料館から港の方に歩くと、横浜税関の建物があり、これを過ぎると大桟橋である。路上に、大きな壁画を発見した。



大桟橋は明治24年(1894)に完成した  鉄桟橋が原型で、その後、大きく発展していく。


現在の大桟橋は国際旅客ターミナルである。
以下のサイトを参照。

http://www.osanbashi.com/



日本大通り、開港資料館、その先の埠頭が大桟橋である。

<別れのブルース>
戦前のレコードによる淡谷のり子の「別れのブルース」
YOUTUBEにありました。素晴らしい。
意外とあっさり唄っています。
情感を込めて唄うようになったのは戦後でしょうか?

">

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2008-05-25 01:27

横浜・日本大通

日本大通りは、明治維新以降、日本人街と外国人街の境界として明治12年に完成した。
設計は
英国人技師R・H・ブラントン。
当初から120フィート(36メートル)の幅員を持ち、日本初の
マカダム舗装、両側に3メートル幅の歩道、9メートル幅の植樹帯を備えた道路であった。
24メートルが歩道と植樹帯。12メートルが道路幅であったわけだ。
これが、
関東大震災の復興整備で、車道が大幅に拡幅(22メートル)され、歩道は植樹帯を含めて片側7メートルに削られた。

ところが、平成14年5月までの再整備によって、植樹帯を含めた歩道幅員を片側13.5メートルに拡幅し、明治創設期のイメージを復活させた。
歩道部分が27メートル、道路部分は9メートルと、明治時代より道理は狭くなった。



歩道の部分は、中央に植樹帯があり、車道よりも広い。




自転車で遊びに来て、オープンカフェでお茶を飲める。

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2008-05-24 11:01

神奈川県庁本庁舎

1928年に建設された神奈川県庁本庁舎。
中央の塔は高さ48.6メートル。「キング」の愛称で親しまれている。
昭和初期の流行した帝冠様式と呼ばれるスタイル。

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2008-05-23 22:08

横浜・関内周辺 

関内駅から横浜スタジアムの横を抜けて、日本大通界隈を散策。
初夏を思わす陽気。木々の緑が眩しい。

日本大通りは、明治12年、R.H.ブラントンにより設計された日本で初めての西洋式街路。
神奈川県庁、横浜開港資料館、横浜郵便局、旧商工奨励館、旧市外電話局、横浜地方・簡易裁判所、 旧関東財務局など、重要な施設が立ち並ぶ。

日本大通りの道幅は、当初から36メートル、両側に3メートルの歩道、9メートルの植樹帯を備えていた。

この広い歩道にカフェテラスが並ぶ。






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