2007-06-30 13:05

床屋談義

昨日、床屋にいく。
床屋は長く同じ店と決めている。

映画「アンダルシアの犬」ではないが、
剃刀を肌に当てるのだから、相手を信頼できなければ、とても任せられない。

しかし、床屋のビジネスは安泰ではない。
特に東京23区内は昔ながらの床屋は減少している。
20年前に通っていた店は、店舗を飲食店に売却して廃業した。ここの親父は、夜は居酒屋に出没するので、良く一緒に飲んだ。

その後に見付けた店は、主人の腕が良く気に入っていたが従業員が辞めてしまい、しばらくは完全予約制で頑張ったが、店主が疲れ果てて廃業した。

そして、現在の店は、周囲の廃業した店の顧客が流れて、それなりに繁盛している。

従来型の床屋の軒数は減少しているが、駅には10分1000円均一の店は増えている。

しかし、この1000円均一の店は、従来の床屋のライバルではない。
これが登場したので、1500円とか2000円などの中途半端な安売り店は影響を受けた。
従来型の床屋とは、コンセプトが違い過ぎて、全く影響が無いようだ。

なお、東京都理容生活衛生協同組合は、
床屋、散髪屋に変わる理容室のネーミングを募集中である。

床屋の言われは様々あって良くわからない。
江戸時代の滑稽本・式亭三馬の浮世床は、床屋を舞台にしているので、かなり伝統ある名称ではあるが・・・。

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2007-06-28 11:12

田舎の運動会(その3)

反省会が終了して懇親会へ。
都会なら居酒屋か割烹あたりに移動するのだけれど、あいにく、その種の店は存在しないので体育館を使うことに。
座っていると、次から次へと人が回って来て酒を注いで、話をして、去っていく。
やがて、先生達も参入。さっそく担任の先生と一献。
教育論を語り合う。
「ここは軽く飲まないと後が持たないですよ」と担任の先生に忠告される。
「この後はどうなるの」
「それぞれの集落に戻り、そこで朝まで宴会です。これからが本番ですよ」

広大な田園の中に、いくつかの集落が散在している。
この集落の中には、人の集まる大きな屋敷がある。
午後9時頃から、ここに移動して宴会が始まった。
またもや膨大な手作り料理が出る。
夜を徹して食べて、飲んで、話して、明け方には宴会場で寝てしまうのであった。
運動会は、間違いなく最大級のイベントであった。

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2007-06-26 13:31

消費者基本計画

2004年の6月に消費者基本法が制定された。
従来は「消費者保護法」という法律があったが、この消費者基本法は、保護法の改正ではない。

全く新しい視点で、消費者の権利と事業者の責務を定めてある。

そして2005年から2009年までの5年間、消費者基本計画が推進されている。
内閣府を司令塔にして全官庁横断で消費者行政を見直している。

2005年以降は、消費者基本法の理念から早急にビジネスの見直しを行わないと「えらいことになる」と言われていた。

・・・が、気付いてないのか、あるいは情報が届いてないのか、血祭りに上げられる業者が後を絶たない。
愚かである。

消費者基本法は、事業者にとっても良い法律である。
また、この法律の裏には、ある戦略が隠されているように思える。


http://www.consumer.go.jp/seisaku/keikaku/index.html

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2007-06-26 02:05

田舎の運動会(その2)

運動会の後片付けが終了した後は、午後7時からPTAの反省会があるという。
その後は懇親会も用意されているので「出席するように」と言われる。
妻は時々出席して、飲んで陽気に騒ぐらしいが、私は始めてである。

「今日は、初めての方が居るので自己紹介から初めましょう」と言うことになる。
この自己紹介が、一人一人特徴があり、味があって実に良い。

この土地に生まれ、この土地に育ち、この土地で結婚して、子供を育てている人もいる。
しかし、若い頃、都会に出て、都会で結婚してから、ある年齢に達して故郷に戻って来る人も多い。

「ここには何と多くの色があるのでしょうか。
都会には存在しない、多くの色がある。
その色には名前が無い、多数の中間色の集合であり、目にとても優しい。世界は、こんなに多くの色に溢れていたのかと、今さらながら驚いている」

帰郷した誰かが、このような話をした。
感想をそのまま話しているだけではあるが、確かに、田園は多くの中間色に溢れている。

自己紹介の後は反省会である。
PTAは子供の入学、卒業によりメンバーが替わる。
さらに、様々なイベントは年1回なので、去年の事は殆ど忘れてしまう。

そこで、全ての手順を文書化したマニュアルを作成して、これを毎年、見直して改定する方法が取られているのである。反省会とは、マニュアルの見直し作業である。
朝、何時から、何人で作業を始めると、時間通りにテントが張り終わるのか・・・から始まり、最後まで必要な作業はマニュアル化されている。
また、注意事項、想定されるトラブル、心構え等も文書化されることで、作業者に的確に伝わるのである。

こうして反省会が終了すると、いよいよ懇親会に入る。(続く)

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2007-06-23 19:44

やはり暴力団の勢力争いでした

江戸三大祭りの一つ、東京・浅草の「三社祭」で、
神輿(みこし)によじ上って騒ぎを起こした担ぎ手が相次ぎ逮捕されている問題で、
浅草神社の氏子総代会は、来年の三社祭でメーンとなる本社神輿の担ぎ出しを中止する方針を固めた。

警視庁は暴力団関係者が威勢を誇示するケースが目立つとして摘発を強めており、
中止はこうした情勢を考慮したもの。
神社側は来月の常任理事会で正式決定する。(読売新聞)
---------------------------------------------
東京・浅草の三社祭で、みこしに乗って混乱を誘発したとして、
警視庁生活安全特別捜査隊などは20日までに、都迷惑防止条例違反の疑いで、
江東区千石、飲食店経営市川和弥容疑者(41)ら男3人を逮捕した。
いずれも地元のみこし同好会のメンバーで、容疑を認めているという。
同隊は、3人と一緒にみこしに乗った入れ墨師木本稔容疑者(32)の供述から、
浅草にある指定暴力団住吉会系組事務所を家宅捜索し、地元のみこし同好会の資料を発見した。(時事通信)
------------------------------------------------------
三社祭りに参加した人から聞いた話の通りでした。

関西の日本最大の暴力団が、東京に進出して、
東京の暴力団と、この「神輿乗り」の覇権を争っているとか。

神社や一般参加者には迷惑以外の何者でもない。

  1. 瘋癲老人日記
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2007-06-23 14:32

田舎の運動会(その1)

都会では小学校の運動会は、生徒と父兄と先生ぐらいしか知らないのだが、田舎では地域最大級のイベントである。
子供を山村留学に出したお陰で、田舎の運動会の素晴らしさを知ることが出来た。

運動会の朝、まず父兄。特に父親がやらねばならないことは、テント張りである。
前日まで校庭は使っているわけだから、早朝に張るしかない。
夜が明けて、空が明るくなったら作業開始である。
リーダーと思われる人のところに行って指示を仰ぐ。
作業員の数が多いので、こりゃあ直ぐ終わる・・・早く帰って一眠りしたい・・と思ったら甘かった。
都会では本部と招待席程度程度しかテントが無い。
ところが観客席も全てテントを張るのである。
何故なのか?
その時は分からなかったが、観客が入ってわかった。お祖父さん、お祖母さん、叔母さん、叔父さんを含めて親類縁者一同が集まるので、平均年齢が極めて高い。炎天下で、お祖父さん、お祖母さんが見学するわけには行かない。そこで観客席にもテントは必要なのである。

「おいおい、このテント誰が片付けるのだ?」
と思いながら作業を続ける。

テントを張り終わったら終わりではない。
今度は生徒達が入場門、退場門の設置や放送資材の搬入などを始めるのだが、これをサポートしなければならない。
自主性に任せながら必要なサポートをする。

そうしている内に人がどんどん集まってくる。
車で来る人、歩いてくる人、村中の人が集まって来るんじゃないか・・・と思われる程の人の数である。

観客席のテントの前に集落の名前を書いた立札が設置されており、これに従いスムースに収まっていく。
私は、子供を里親に預けた家が所属する集落のテントに入るように言われる。

運動会は大いに盛上がったが、それより私が驚いたのは観客席のテントの中のご馳走である。
この日のために用意されたご馳走が所狭しと並べられている。
特に美味しいのは野菜の煮物、漬物を中心にした手作りのご馳走。この地方独特の郷土料理というのも多々あった。全て家庭料理である。
(この地区には小さなスーパーが一軒あるだけなので、料理は自分で作るしかない)
テントの中では「食べなさい」「食べなさい」と、ご近所様から次々にご馳走が出てくる。
まるで竜宮城で歓待を受けた浦島太郎のようである。

運動会が終わった。
テントは、やはり張った人が撤収するのであった。
運動会の片付けは、特に子供達は疲れているので大人のサポートがさらに重要になる。
テント撤収の後、関連機材の撤収を手伝う。

で、これで終わり。
朝も早かったので、早く帰って寝よう・・・と思ったが甘かった(続く)。

  1. 教育
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2007-06-20 23:02

バリ島のライステラス

今日は休日出勤の代休です。
とはいえ、自宅の掃除で終わりました。

家の周囲を掃除していると、ご近所の若奥様にも「今日はお休みですか?」と聞かれました。
「そうです。代休なんです」と話すと「ゴールデン・ウイーク出勤の代休でしょうか?」と。
「はい、それもあります。その後もありますので、来週も休みです」と。
やはり、ご近所ですから、よく観察されているようです。回覧板や、町内会費の集金がありますからね。

で・・・、バリの休日に思いを馳せて、ライステラスの写真をアップします。
写真で見ると茶色が目立つけど、もっと緑が濃い感じです。



近くまで行くと、こんな感じ。水が透明で綺麗なんだな。周囲を取り囲む椰子の木と青空が実に良い。


ライステラスだけじゃなくて、普通の水田もあるのです。

  1. インドシナ
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2007-06-20 13:48

えらいこっちゃ、丸江大橋が落ちたがな。

London bridge is falling down,    
Falling down, falling down,      
London bridge is falling down,   
My fair Lady.             

橋が落ちると言えば、ロンドン橋に決まっていた。
ところが、中国広東省の丸江大橋が落ちた。

橋げたに砂運搬船が衝突したことが原因とみられる。
当時、自動車数台が橋を通過中で、トラック2台を含む自動車6台が行方不明とのこと。

実は、先週も業界の集まりで、中国の過積載規制が急に厳しくなったという話があった。

過積載というのは、トラックの積載重量が決まってるでしょ。10トン車とか、4トン車とか。
積める重量を決めて設計してるので、それ以上、積むと危ないのです。
これを無視して、その何倍も積むので、車両も危険な状態だし、道路もボコボコになる。

「高速道路にあちこち段差が出来ている。こりゃ、オリンピック過ぎたら使えんぞ」と話していたところに、橋が落ちたのニュース。
これはトラックの過積載が原因かと思ったら、船の激突だった。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0615&f=national_0615_007.shtml

この仏山市は、新しい工業団地が出来て、日本企業も多数、進出しているところ。
数年前の投資説明会があり、私も出席したので位置は分かる。

彼の国は「何が起きても不思議でない」、
そうした国が空母を造ろうというのだから怖いわ。

  1. 中国
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2007-06-20 11:38

「時計台の鐘」が聞こえた

札幌駅を降りて、駅前をふらふら歩き、
適当なレストランで昼食を食べていたら時計台の鐘が聞こえた。意外に大きな音だ。
「あ、ここは時計台の近くだな」と思う。
JR札幌駅を降りて徒歩10分程度のところに時計台がある。

そこで、少し時間があったので久々に時計台に行ってみた。
すでにビルの谷間の時計台である。途中で、人に聞いて、探し当てた。



ビルの谷間の時計台。
内部は資料館になっていて閲覧料は200円。
最初に、ここに来たのは20代の頃である。
1970年代には展示は無かったように思う。

時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」という。
札幌農学校(北海道大学の前身)は近代技術を導入し北海道開拓の指導者を養成する目的で開校された。
時計台は、農学校生徒の兵式訓練や心身を鍛える体育の授業に使う目的で建設され「演武場」として建設された。時計は開設当時は無く、後から付けられたのだ。

「Boys be ambitious」(少年よ大志を抱け)で有名なクラーク博士は
1876(明治9)年にアメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学学長から札幌農学校初代教頭に赴任した。
博士は、アメリカ南北戦争に大佐として従軍した経歴を持っており、
生徒の心身を鍛える武芸科を設置し、兵式訓練や体育の授業を行う「武芸練習場」を建設することを考えた。でも博士は、翌年に帰っちゃったのね・・・
   
で、
1877(明治10)年クラーク博士のあとを継いで教頭となったW・ホイラーが基本構想図を作り、開拓使工業局主席技術者安達喜幸の設計、監督で1878(明治11)年10月16日に時計台は完成する。

費用は、当時のお金で3,869円16銭3厘。
2階は兵式訓練や体育の授業などの屋内体育館や中央講堂として使用され、
1階は、研究室、講義室、動植物や鉱物の標本展示室として使われた。

なんと、時計台は体育館だったのだ。



クラーク博士、二代目のホイラー博士の写真が展示してあった。
クラーク博士は南軍の大佐だったのか・・・。

農学校はクラーク博士の教育方針により、農学、工学、科学、水産学などの学問だけではなく、キリスト教を基盤とする人格教育にも力を注いだ。
クラーク博士から直接教えを受けた1期生には
伊藤一隆、佐藤昌介、大島正健など、
クラーク博士の帰国後入学した2期生からは内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、廣井勇、町村金弥。
その後も高岡熊雄、松村松年、有島武郎、森本厚吉、半澤洵など近代日本を代表する思想家、研究者、技術者、教育者が巣立った。

農学校の多くの卒業生は、
国内各地で教職に就き、日本の教育の発展につくした。



農学校の卒業生達。そうそうたる顔ぶれです。


米国南部の在住のTOMTOMさんに敬意を表して新渡戸稲造先生をアップに・・・。

その後、北海道大学は駅の裏に引越して、時計台だけは現在位置に残された。
その後、1970年に国指定重要文化財となり、1995年から修復工事をし、現在は資料館・ホールとして活用されている。



これは「時計台の鐘」を作曲した高階哲夫。

時計台の鐘が鳴る
大空(おおぞら)遠くほのぼのと
静かに夜は明けてきた
ポプラの梢(こずえ)に陽(ひ)は照りだして
きれいなあしたになりました
時計台の鐘が鳴る 

この唄も私がカラオケで歌う曲の一つ。良い唄です。



札幌時計台をテーマにした曲のレコードが展示されていた。
「時計台の鐘」の隣には「恋の町札幌」が。この曲も、よく歌います。

  1. 国内出張・忙中閑有
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2007-06-19 18:50

図書館での乱闘

「恐い先生に当たったな。可哀想に」と先輩に言われた。
中学の担任の先生である。
しかし「何処が恐いんだ」と言うほど優しかった。
陽に焼けて精悍。でも目がとても優しい。
町内の「子供が大好きなオジサン」の目である。

授業は、とても面白く、分かりやすかった。
生徒達は集中して聞いていた。
学級崩壊が起きるのは、先生の実力が無いからだ。

ある日、都会の学校から転任の先生がやってきた。
この先生の授業は面白くなかった。
妙に斜に構えたところがあり、学校の批判なども授業中にしていた。
田舎の子供達は基本的にストレートであり、斜に構えた態度や言動は受けないのだ。
この先生は人気がなかった。そこで、授業中の私語が増える。

ある日、授業が終わって図書館に行くと、
図書館のドアの前に司書の女の先生が立っていた。
そして「今、中に入れないのよ」という。
「何故?」と聞くと「今、中で先生達が大切な話をしているの」と困ったように言う。
そこで、暫く女の先生と話をして待つことにした。
この司書の先生は美人で、生徒達の憧れの女性でもあったので、
ちょうど良いチャンスでもあった。

ところが図書館の中の話は、なかなか終わらない。
そのうち怒声が聞こえてきた。
さらに、ガタガタと机や椅子の鳴る音。
どうも乱闘が始まったらしい。

ここに至り、司書の先生も「今日は帰りなさい」と生徒達に告げる。
仕方が無い、帰ろうか・・・とすると、ドアが開き、先生が2人出てきた。
私の担任の先生と、他校から転勤してきた先生の2人であった。
2人は無言で、生徒達の前を通り、職員室に戻った。
2人とも目は怒りで三角になっていた。
「先生たちも喧嘩するんだ」とその時は思った。


後日、分かったことは、都会から転勤してきた先生は日教組という組合組織に属しており、
この学校に組合組織を作る目的があった。
二学期からという妙な時期になぜ転任なのか不明だが、担当するクラスは無かった。
この先生は赴任してから、多くの先生に声を掛けていた。
私の担任の先生は、それを止めさせようとして、言い争いになったらしい。

翌日の授業。
担任の先生は昨日の事は何も言わなかったが、目はいつものように優しかった。
生徒達はそれを見てとても安心した。

担任の先生の毅然とした対応で、日教祖による組織化は失敗した。
生徒達に人気の無い転任の先生は、いつの間にかまた転任していった。

男は時として体を張ってでも阻止しなければならない事がある。
私は、時々、この「図書館の乱闘」を思い出す。

  1. 団塊世代の真実
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