カテゴリ:セロ弾きゴーシュ の記事一覧

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2015-02-20 23:06

セロ弾きのゴーシュとチェロ・ソナタ

ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。
けれどもあんまり上手でないという評判でした。
上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
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宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」の冒頭の部分である。
楽長に叱られたゴーシュが、一念発起して、夜、家に帰ってから夜が明けるまで練習を続け、自分が知らない間に驚く程、上手になるという話。
そのゴーシュの練習中に、猫やカッコウや狸がやってくる。
猫が、シューマンのトロイメライを弾けというのにゴーシュが「印度の虎狩り」と言う曲を弾く。
その音響に猫の毛から火花が散る。
あるいは、病気の野ネズミの子供をセロの中に入れて演奏し、治療するなどの話が出てくる。
まさに、セロの響きから生まれたファンタジーである。

私の好きなセロ:チェロの曲の一つ。
ブラームスのチェロソナタの第一番。
この低い音から始まる冒頭の部分は、野鼠の子の治療シーンを思い出してしまう。

 

 

この曲は、第二楽章も実に良い。
Rostropovich & Serkin のコンビの演奏。

 

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2015-02-20 15:28

ヤニグロの日々

父はヘビースモーカーで、指の先がヤニで黒くなっていた。
中学時代にレコードを購入したら、指揮者はアントニオ・ヤニグロと書いてあった。
こいつもヘビー・スモーカーか?と思った。
ヤニグロはチエロの演奏家であったが、ザグレブで仕事中にザグレブ室内合奏団を結成して、好きな音楽を演奏していた。



ウイキぺディアの記述では

アントニオ・ヤニグロの父はピアニストを目指していたが、戦争で腕を撃たれキャリアを断念していた。
アントニオ・ヤニグロは6歳でピアノ、8歳でジョバンニ・ベルティ(Giovanni Berti)からチェロを習う。
ヤニグロはすぐさまこの楽器の虜になり、数年後にはミラノ音楽院に入学が認められ、ジルベルト・クレパック(Gilberto Crepax)に師事した。
ヤニグロが11歳の時、母ニコラの努力で、巨匠パブロ・カザルスのレッスンを受ける。
カザルスはパリのエコールノルマル音楽院でカザルスのクラスのアシスタントをしていたアレクサニアン(e:Diran Alexanian)に、「ヤニグロ少年は細やかな情感を持った、輝かしい器楽奏者・・・」との推薦状を書いた。

ヤニグロは16歳までミラノに留まり、1934年からパリのエコールノルマルに留学して、カザルスとアレクサニアンに師事する。
パリではポール・デュカス、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャック・ティボー、アルフレッド・コルトーといったといった才能と交わる。
またディヌ・リパッティは親友であった。

1937年エコール・ノルマルを卒業。
ディヌ・リパッティやパウル・バドゥラ=スコダと共に、ソロ活動を始める。
ザグレブ(クロアチア)はヤニグロにとって第二の故郷とも言える。
第二次世界大戦中、ヤニグロはユーゴスラヴィアのザグレブ音楽アカデミーのチェロと室内楽の教授としてザグレブに留まった。その後、1953年にザグレブ室内合奏団(I Solisti di Zagreb)を設立、自ら指揮をした。

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当時、ヤニグロが何者なのかは知らなかったが、偶然、購入した1枚のレコードから、ヤニグロの演奏が好きになった。
それから暫くは、ヤニグロの日々が始まった。
チエロの曲を多く聞くようになったのはヤニグロの影響である。
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