2016-07-28 16:28

ベンガルの隣人について

昨年の我が家の冷凍庫庫には、いつも冷凍されたカレーが入っていた。
長女が職場から持って帰った「まかない」食の残りである。
長女は昨年の夏に3年勤めたコンピューター関連の職場を退社し、
約半年、以前の飲食業界に舞い戻り、
今年に入って「もうちょっと早く帰れる」コンピューター関連に再就職した。
飲食業界は、とっくの昔にグローバル化しているので、
「グローバル化に対応して社内会議で英語を使うことを決定」・・・などの長閑な大企業と違って、
零細企業では外国人の同僚に英語で仕事を教え、さらに英語で日本語を教え、さらに文字を教える日々である。
長女によると、日本語の上達が早いのがバングラディッシュ出身のベンガル人。
ベンガル語は発音も文法も日本語に近いので、とにかく上達が早い。
やがて文字も読めるようになり、書けるようになろうと努力する。
一方で、日本語の上達が遅いのがベトナム人。
なぜか駄目なんだよね・・・。

さて、仕事の面では、日本と親和するバングラの人々も、宗教の面ではイスラム教徒であるので、その教義に従う。
最も有名なのは豚肉を食べてはいけないこと。
しかし、豚肉が料理に入っていなくても、スープなどに豚肉のエキスが入っていれば駄目。
それだけではなく、以前、豚肉を料理したことのある鍋、フライパン等の使用も駄目なのだ。
ですから、従業員用の食事(まかない)は、2種類作ることになる。
1つは日本人及びそのような禁忌の無い国の人々用、もう1つはイスラム教徒用である。
2種類作ると、どうしても多くつくることになり、
職場の冷蔵庫に入れられないので、我が家の冷蔵庫にまで溢れ出たわけだ。

そして、もう一つ大きいのがラマダン(断食)である。
食事をしてはいけない。水を飲んではいけない。それだけではなく、自分の唾も飲んではいけない。
近くで日本人が食事をしているのを見て、唾が出たとしても、それを飲んではいけない。
仕方がないので唾を吐き出すことになる。
夜間は食事をしても良いのだは、時間は午後7時から翌日の2時までの間である。
夜明け前まで飲食できる訳ではない。
こういう生活が約1ヶ月続くのだ。
「自分の国であれば、ほぼ全員がイスラム教徒で皆が同じように断食しているので良いが、
日本でのラマダンは辛そうだったよ」と長女。
それは単に辛いだけではなく、無理があるのだ。
国際化というのは、こうした問題を持ち込むことである。
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  1. サラセン
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2016-07-09 23:44

「汝姦淫するなかれ」の現象学

私達、日本人の男は、近くに美しい女性が居れば、ついつい見てしまうものである。
そっと見る人、ずけずけ見る人、「わあ、別嬪さんや」と叫びながら見る人など様々であるが、
「見てはならない」等の戒めがあるなどは想像できないのである。
一方、見られる方の美人さんにとっても「私が美人だから皆が見るのよ」と喜ばしい話なのである。
しかし、一神教の世界では、このように思う女性はカルメンのような「あばずれ」の特異な存在である。
特異であるからこそ、芸術のテーマにもなる。

本質的にはモーセの十戒の第六番、汝姦淫するなかれ・・・に規定されてしまう。
・・・であるから男性が美人を見るということは、即ち「視姦」であり、姦淫と同義語なのである。
新約聖書 マタイの第5章には以下のように書かれている。

『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。
だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

これは新約になって出て来たものではない。旧約聖書にも同様の記述がある。
現在のキリスト教徒において、ここまで厳格ではないように見える。
そのように見えとしても、我々、日本人と同じではない。
日本人には「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」との意識は無いが、彼らにはある。
そして、イスラムの世界では、これが充分に、かつ完璧に生きている。
・・であるから彼らの国で、彼らと仕事を一緒にするのであれば、
近くに美人が居ても、決して見てはならないのである。

問題は・・・顔を動かした拍子に「見てしまう」ことである。
これは、周囲の様子を伺いながら・・・服装などで判断し・・・危険な方向(女人)に顔を動かさないこと。
万一、罪を犯して(見て)しまった時も、目を泳がせて、決して凝視しないようにすることである。
冗談のように聞こえるかも知れないが、危険回避のために現地在住の場合では実際にそうしている。旅行者とは違うのです。
この場合、女性がブルカ(目の部分も網状になっていて完全に隠れている)、ニカーブ(目だけが出ている)などを着用している国、は男性が罪を犯すのを親切にも防いでくれる。
チャドルは顔は出ているが肉体は黒服で覆われている。
問題なのは近代化(?)されたという、顔は出ているし、服装も西洋風という国だ。
こういう国で、男性は罪を犯してしまう(顔やら肉体をついつい見てしまう)可能性の高い危険な国なのである。
桑原桑原。

国際化というのは、こうしたトラブルを持ち込むことである。


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  1. サラセン
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2016-07-06 23:43

こいつらが、あまり増えるといけない

ラマダンの後の祭りは血の臭いがする。
生贄の血である、
生贄になるのは、やはり山羊である。
首を切って勢いよく噴出す血を飲み、掌に血を付けてペタペタと・・・。

それは、以前、描写した通りの世界が大規模に展開される。

http://yuyuu2013.blog.fc2.com/blog-entry-4339.html

山羊は何故、生贄にされるのか?
聖なる動物なのか?
どうも、そうとは思えない。

こいつらが、あまり増えるといけない・・からではないのか?
牛は草を食べるが、草の上の方の柔らかい部分を食べる。
羊は草の下の部分も食べる。
ですから牛は緑の豊な牧草地帯でないと飼えないが、
羊は痩せた土地(荒野)でも放牧できる。
さらに羊は群れて一箇所に固まりやすい。
一匹だけにすると強いストレスを感じるらしい。
・・・であるからストレイ・シープ(迷える子羊)は強いストレスを感じ、神の言葉が必要になる。
この羊が自然の回復力を上回る勢いで草を食べてしまうと、曠野は砂漠になってしまうのだ。

この困った羊よりも、さらにヤバイのが山羊である。
ヤギは根までも食べつくしてしまう。
こうなるともとの地盤である砂地がむき出しになり、いよいよ砂漠化が進行してしまう。

そこで、この困ったちゃんの山羊が生贄に選ばれたのではなかろうか・・・と勝手に想像して見るのである。

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  1. サラセン
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2016-01-26 15:10

掌を生贄の血で真っ赤に染めて

別に古代の話でも、中世の話でもないのです。
現在、普通に行われていることです。

工場などが完成した時に、お祝いをやるんですね。
そして、この工場で事故が起こらないように、お祈りをする。
そこは、日本だって同じで、神主が来て、お払いをして、塩と酒を撒いて、
その工場の社長と工場長が玉串を奉納して、お仕舞いです。

ところが一神教の国々では、こういう時には生贄を捧げるのです。
ヤギが多いですけど、牛という場合もあり・・・・・古代では人間の雌の処女という場合も・・・

ヤギは古くから犠牲にささげる獣(生贄)として使われることが多い。
古代のユダヤ教では年に1度、2匹の牡ヤギを選び、くじを引いて1匹を生贄とし、もう1匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った(旧約聖書 レビ記16章)。
贖罪山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。
特定の人間に問題の責任を負わせ犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat 生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現。

回教の世界では、ラマダンの前後に生贄が捧げられ、見てしまった日本人がショックを受けることがままある。

さて、工場の完成祝いであるが、ヤギが生贄に捧げられ、生贄の首を切り、そこから溢れ出る血をたっぷりと手に付けて、
建物の重要部分に掌でぺたぺたと血を付けて、お払いするのです。

日本人は、とても付いていけない感覚ですが、平静を装いながら見ているしかない。

日本人と一神教の人達と普段に付き合うには問題ないが、こういう場面では「感覚の違い」を感じます。

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  1. サラセン
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2015-02-06 10:19

参考になる分析





  1. サラセン
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2014-10-13 16:24

高山の旦那のイスラム談義









  1. サラセン
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